こんにちは。
「本を読み返したり、先読みするみたいに時間を行き来できたら、」という仮定は考えさせられますね。脳のなかで組み立てる世界と、現にある世界との齟齬の一端を覗いてしまったようで。
この物語の姉弟と、狼の姉弟と、アマリリス姉弟。それぞれどんな未来が待っているのでしょうか。
作者からの返信
コメントをありがとうございます!
昔のことで、エピソード記憶としては鮮明に思い出せるけど、その時の気分ってなかなか再現できなかったり、
通読して熟知しているつもりの小説も、読み返してみると思いもよらない発見があったり、
忘れている・見落としていることが多い(むしろ大半?)のだと思います。
キャスティングの制約(人間はアマリリスしかいない)で架空世界に振り切りつつあるプロット、どうまとめ上げたらいいものやら、ご期待くださいませ!
自分の本当の名前を教えないという風習、ケルトとかあっちの方の文化だったような気がする次第で、かなり昔の少女漫画で読んだ気がする次第。そして本を読むアマリリスは、やはりオオカミの姉弟に作中の人物を重ねていたのだなあと。
作者からの返信
コメントをありがとうございます!
ケルトのほうにもそういう文化があるのですね。
青いイルカの島のお話は、19世紀に実在ネイティブアメリカンの女性をモデルに、現代作家が創作したもので、ネイティブアメリカンにそのような文化があったかは不明ですが、
たしかアイヌ(違ったかな、、)にも同様の習慣があった記憶で、
人名ではありませんが、ユダヤの神を表す聖なる四文字(YHWH)の正確な読み方が今では分からなくなっていたり、
異教時代のロシアで熊のことを隠喩的に「蜂蜜を食べるもの(メドヴェーチ)」と呼んでいるうちに、熊を意味する本来の言葉が失われてしまったり、
そのものズバリを呼びかけるのは畏れ多い、という発想は世界の各地であったのかもですね。