おおかみこどもと冬の雪

第526話 姉と弟#1

持ち前の好奇心で、あっちへフラフラ、こっちへフラフラ、道草ばかりくっている弟を、少女はため息をついて呼び戻した。


ここは敵地、しかもおそろしく狡猾な魔王が支配する呪われた森なのだ。

魔王の権力の印に触れたら何が起こるか分かったものではないし、彼女たちがここに居ることをけっして敵に知られてはならない。

だというのに弟ときたら、わざとやっているんじゃないかしらってくらい、そこらじゅうを踏み荒らし、

目新しいものを見つけようものなら、すっとんでいってほじくり返さずにはいられないのだ。


こんな調子ではいつ敵に見つかるか分かったものではない、むしろ遅かれ早かれ見つかるに決まっている。

そうなる前に、ただちにこの森を出てゆくべきなのだが、、では、どこへ??

意地悪な継母の壮絶な嫌がらせを逃れて、西にある故郷からこの森にやってきた姉弟には、ここを出て行く先のあてなどないのだった。


「”姉弟きょうだい”っていうのが、あいつらだってことはわかるが」


降りしきる雪の中、ミヤマハンノキの密生した藪から姿を現した2頭のオオカミに視線を向けたまま、

同じく、その”姉弟”に目を凝らしているアマリリスにアマロックは尋ねた。


「”魔王”というのは何のことだ。」


「あらー。魔王様自身がそれを聞いちゃうんだww」


アマリリスは悪戯っぽく笑って答えた。

アマロックを見上げる視線には、甘えたような、そして少しおもねるような表情があった。


「大層な役どころだな。

それじゃ、”継母”は?」


「あ、それは作り話。

あたしの妄想~~。」


「やれやれ。

つくづく難しいことを言うね、人間は。」


大雪と共に現れる珍客は、(もっぱら姉のほうが)周囲に警戒しつつ、

半ば雪に埋もれた食料、オシヨロフの群のオオカミたちが先日狩り倒したアカシカの残骸に近づいていった。



魔族や、人間からの変身者も数えてオシヨロフに8頭いるオオカミのなかで、

侵入者に気づいたのは、偶然にも、そして自分でも意外なことに、アマリリスひとりだった。

何が意外って、オオカミとしてのアマリリスは、いまだに狩りでは全くの役立たず、群のお荷物なのだ。

こういうところに目端が利くとは思わなかった。


出会いは、オシヨロフの8頭で獲物を求めて、なわばりの周縁に沿って巡回していた時のこと、西の山地の群との国境付近だった。

シャクナゲやハマナスの藪が深くて、アカシカは入り込まない、だからオオカミも探索の足を向けない茂みから出てきた2頭は、

全体に白味の強い、明るい褐色の毛皮で、この雪深い季節に現れた、雪の女王の使いのようにも見えた。

姿を見せていたのは僅かな時間で、かき消えるようにして茂みの奥に逃げ込んでしまった。


目撃したものがなかなか信じがたく、遭遇したのがなわばりのはずれでもあったことから、

そうとは知らずに迷い込んできたうっかりさんオオカミなのだろう、と思っていたが、数日後に別の場所、それもなわばりのより内側に入り込んだところで、再び2頭に出会った。

最初の時と同じく、大雪の日で、このときもアマリリスの姿を見るや、一目散に逃げ去ってしまった。


雪に埋もれた僅かな痕跡を辿るかぎり、姉弟もしくは兄妹の関係にある1年児の2頭は、オシヨロフのなわばりの中に居座り、あるじの目を盗んで徘徊を続けていた。

姉オオカミのほうはなかなか賢く、彼らの痕跡を消し去ってくれる降雪時にのみ活動し、オシヨロフの群の食べ残しのおこぼれにあずかって食いつないでいるようだった。


それにしても繊細にして大胆――いや、むしろ無謀と呼ぶべき行為だ。

いくら慎重にといったところで、アマリリスに見つかっているわけだし、活動の痕跡を完全に拭い去ることはできない。

オシヨロフの他のオオカミたちにも、いつかは必ず見つかってしまう。

そして見つかったら命はない、食糧事情の厳しい冬に、よそ者が受け入れられる余地はなく、敵対する侵入者として殺されてしまうだろう。


そんな無謀で未来のない選択をするのは――

姉弟がそれだけ追い詰められている、他に今を生き延びる術がないということだ。


この冬、オシヨロフを見舞った何度かの窮乏は、昨冬に比べれば緩やかなもので、本格的な飢餓には到っていなかった。

しかし、姉弟の故郷である西の山地の群は、群の成り立ちもあぶれものの寄り合いなら、土地もあぶれものという次第で、この冬も食糧事情は悲惨なものだった。

2頭はその母の斃死とともに、口減らしのために群を追放され、山を下ってオシヨロフの領土に流れ着いたというわけだった。

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