第520話 雪夜のまやかし#1

「”男がみんな死んでしまって、女が漁をせざるをえなかった。

女がとてもよく働いて、だから実際は男が漁をしていた頃よりもむしろ、暮らしぶりが良くなった”・・・」


その一節を口の中で読み上げ、アマリリスはまたパラパラとページをめくった。

炎の熱で顔が火照るくらい、体は十分に暖まっていたが、漏れ出た息はなおも白く煙った。


読んでいるのは、以前にヘリアンサスとファーベルがオロクシュマの教会の前で、”奇妙な身なりの、知らないおじさん”から貰った、という、怪しい出どころの冊子だった。

――もう、ずいぶん昔のことみたいな気がするけど、あれからまだ半年そこらなんだな。。


タイトルは『青いイルカの島』

だから青い表紙というのは芸がない気もするが、爽やかな空色の表紙に凝った字体でタイトルが印字され、普及版ながら丁寧な装幀の本だ。

本文は、ラフレシア語の文章語で綴られており、そのまま読み上げても意味が通らない。

話し言葉に置き換えて理解する必要があり、一時、ファーベルによるヘリアンサスのラフレシア語お勉強会の教材に使われていた本でもあった。


弟よりは言語の才能に恵まれたアマリリスではあったが、外国語の文語/口語変換という操作を頭の中だけでこなすのは難しく、読み上げ、つまり声と耳の能力も活用して読みこなしているところだった。


「”もし彼が私の敵だったら、、”ちがうな、

”もし彼が私の敵だったとしても、私にはわかってた、彼を殺すなんて出来っこない。

そう、今ではもはや、彼は私の友だちなのだから。”」


この逸話が編纂されたいにしえの時代に、弟と2人だけで、外海の孤島に取り残されてしまった少女の物語。

やがて弟は野犬に殺され――無謀な戦いを挑んで、返り討ちにあって死に、

天涯孤独の身となった少女は復讐を誓い、弟よりずっと洗練された手腕で野犬を追い詰める。

この場面で、弟の仇とおぼしき野犬の群のボスの胸には、少女の放った矢が突き立っていた。


しかし少女は止めを刺すのを躊躇し、結局、傷ついた野犬を連れ帰って治療する。

野犬が年老いて死ぬ日まで、彼は少女の心の慰めとなった。


「・・・そんなことってある??

にっくいカタキには違いないんだよね?」


真の天涯孤独、逃げも隠れもできない究極のぼっちという境遇は、そこまで人に同胞を渇望させるものなのか。

そうなったら、あたしも兄弟を殺した相手と仲良く、、、? いやいや、絶対ムリやし。


・・・本当の孤独。

つまり、この状況からアマロックまで失ってしまったら。。


読書タイムの楽しい気分が、急にしぼんでうなだれてしまった。

今も、ここに居てくれるわけではないアマロック。


あたしのことなんてどうだっていいんでしょう、

そんな言葉を投げつけそうになっても、アマリリスがいつも思いとどまるのは、アマロックの答えを知っているからだった。


こうして時々、思い出したようにのしかかってくる不安や憂鬱、今の表の吹雪のように、未来は何一つ確かには見通せない 。

そのなかで、たったひとつ確かなものがアマロックへの愛なわけで、それまで取り上げられてしまったら、、

あーー、やめよう。この思考の流れはよくない。


注意を振り向けるものを探して、かまどの炎の明かりが届く外側の、昼間ながら薄暗い室内に視線を這わせた。

屋外そとの吹雪の唸りと調子を合わせて、雪の精の吐息みたいに、細かな雪片がフッと吹き込んでは、ゆっくりと舞い落ちていく。

ややばつの悪い気持ちで、アマリリスはそれを眺めていた。


いや、、最初のうちは補修ってか、吹き込んでくるところを塞いでたのよ?けど、、


”けど?”


「キリがないってか、こっちの窓塞いでもあっちの窓から、そっちも塞ぐと天井からって感じで、、

って、え・・・?」


「こんにちはっ!」


そう言って、ぴょこりとお辞儀した相手をアマリリスは呆気にとられて見つめた。

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