異世界イリュージョン

第512話 天竺葵のテラス

ラフレシア極東州首府・マグノリア都心北西部、

坂が多く、通り沿いは商店や会社が、路地に一本入れば住宅がというふうに、住み分けつつ共存する一角。


この辺りにはよくある、多階建て借家3階の自室から、ファーベルは赤い天竺葵てんじくあおいに飾られたバルコニーに出てきた。

足元はサンダル、ふくらはぎの丈のパジャマタイプの寝巻に、肩には防寒を兼ねた厚手のバスタオル。

細い頸すじにかかる漆黒の髪の房は、まだしっとりと、湯上がりの湿り気を帯びていた。


最近、朝方はだいぶ冷え込むようになってきたが、宵のうちは、この時間であってもまだ昼間の暖気が残っている。

今頃は連日の吹雪であろうトワトワトはまるで別世界、

本当に、おとぎ話の中の雪と氷の世界から戻ってきたようだ。


最近、夕食後の楽しみになっているホットミルクのマグカップを両手で抱え、念入りに吹きさましてから口をつけた。

新鮮な牛乳が毎日手に入るというのも、都会マグノリアならでは。

やさしい味覚の温かな飲み物を味わいながら、ファーベルは夜の都会を眺めた。


昼間は人通りの多い表通りも、今は食堂の明かりがぽつぽつ見えるぐらいで、橙色をしたナトリウム灯の明かりが届く、僅かな範囲を除けば町並みは暗い。

ファーベルが、毎日の朝の支度を済ませば市電に乗って師範学校にむかう坂下の通りの先には、かつて要塞都市でもあったマグノリアの外堀をなす川が、今も滔々と流れている。

人手で開削されたということが信じがたいほどの急峻さで落ち込む幽谷はなお一層暗く、トワトワトの闇夜と比べても何の光明も見出すことはできなかった。


けれど、谷の向こう側は、鉄道駅を中心にした繁華街となっていて、この時間でも賑やかな灯りがいっぱいにともり、

その昔、鉄道駅に先駆けて竣工したという大寺院の丸屋根は、今では繁華街に呑み込まれそうになりながら、電飾看板の七色に変化する光を映して、闇空に聳え立っていた。


クリプトメリアは、例によって遅くまで実験室に籠もっているのか、そうでなければ学生たちと酒盛りでもしているのか、予想がつかないから考えないとして、

ヘリアンサスは、今日も遅い。

お役所仕事、なんていってもみんながみんな定時どおりの仕事じゃないのね。。。


ファーベルよりは起床が遅いとはいえ、朝から、この時間まで残業というのは辛いだろう。

一人の食卓にさせるのが気が引けて、8時までなら待つようにしているのだが、それ以降となると、

ファーベルのほうが翌日に差し障るので、先に夕食を済ませることにしていた。


今日はせめて、起きている間に帰ってきてくれれば、、と思っていたら、

オレンジ色の街灯の下に、市電通りを曲がって坂を登ってくる、見慣れた姿を認めてファーベルの心はパッと明るくなった。

この時間だし、声を出して呼びかけることは控えたが、ファーベルは天竺葵の鉢植えの間に伸び上がって、大きく手を振った。


気づかないか。

まぁそうよね、この暗さじゃ。。。

#でも、わたしじゃなくてアマリリスだったら?気づいたのかな、、、??


表情はわからないが、その足取りは軽快で力強く、連日の激務の影響はみじんも感じられない。

実際ヘリアンサスは、勤めるようになってから実に生き生きとして、自分が新しい環境でどれだけ活躍できるかを試し、

苦労そのものを楽しんでもいるような様子だった。


もともとが都会育ちで、一方でヘリアンサスのことは、辺境トワトワトでの生活しか知らないファーベルは、

少年のたくましい適応能力に驚くとともに感心し、今ではすべての時間というわけではなくなった、彼と共有する生活を通して、ヘリアンサスの新しい生活を見守っていた。

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