第510話 喪われた役目

夜を越すたび、アマリリスの目にも明らかに、仔ジカは体力を弱めていっているように見えた。


何とか助けてやりたかった。

しかし、近づこうとすればスピカは牙を剥いて威嚇してくる。

そして、仮にアマリリスが手出しを許されたとしても、どうすることも出来ないのは目に見えていた。


仔ジカがやっと心を開いたのか、それとも寒さに耐えきれなくなったのか、

あるいはもう、スピカから遠ざかる体力も残っていないのか、この日スピカと仔ジカはぴったりと寄り添っていた。

湖畔に開けた草地で、小さくうずくまって常に震えている仔ジカと、その傍らにじっと動かない雌オオカミを、

アマリリスは飽きもせず、いつもの観察ポイントの小丘から眺めていた。


海霧が立ち込めてきて、枯れ草も、アマリリスのセーターも、もちろんスピカと仔ジカの毛皮もしとどに濡れた。

スピカが仔ジカの毛皮を舐めてやると、仔ジカは応えるように――あるいは、怯えにおののいてか――鼻先を持ち上げた。

しかしそのたびに、その仕草は弱々しくなってきているように思える。


そしてまた夕暮れがやってくる。

晩秋の冷たい風が吹きつのり、太陽があっという間に沈み、暗闇が、2つの動物をその内側に隠した。



翌朝を待って、アマリリスは再び様子を見に来た。

スピカは昨日と同じ場所にじっとうずくまり、その傍らの仔ジカもまた動こうとしない。


アマリリスが立ち上がり、近づいていっても、スピカは威嚇してこなかった。


朝露が、みどりの草の葉にも、仔ジカの白い斑点の浮かんだ毛皮の上にも一面に雫を作り、オレンジ色の朝日にきらきらと輝いていた。

仔ジカは薄く目を開き、静かに横たわっていた。


しばらくしてから、スピカは立ち上がり、ゆっくりと森の中へ去っていった。


アマリリスはその後ろ姿を見送り、改めて足元の仔ジカに目を落とした。

美しい毛皮も、華奢な作りの鼻先も、今生まれたばかりのようにきれいでみずみずしく、

それでも死ななければならなかったということに、どうにも納得がいかなかった。


凍死?それとも、餓死?いや・・・

結局は、母ジカがいなくなったことで死んだのだ。

その役割は、どれほど望んだところで、誰かが肩代わりすることは出来ないものだったのだろう。


アマリリスは深いため息をつき、その場を離れた。

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