第508話 赤い星の物語#2

幸福な日々は、彼が期待したほどには長続きしなかった。

アシュタルテ人の魔の手が、再びレッドラフの身に迫っていた。


最初に犠牲になったのは、彼のかけがえのない妻、続いて幾人かの子どもたちを含む一族の者たちだった。

彼の留守に集落を襲ったアシュタルテ人の軍隊に対して、彼の妻は自らを囮として惑わし、攻撃を逸らせようとした。

それは、土着の天敵たちには有効な防衛策であり、彼女はこの技の名人だったのだが、

閻魔ハンミョウの猛追を振り切る俊足も、アシュタルテ人の悪夢の武器の前には無意味だった。


異星人の操る漆黒の雷撃が彼女を打った。

数多の子を生み育て、彼らへの愛情とともに歳月を重ねても一向に衰えない容色と、少女のような愛くるしさは、

一瞬の後には木っ端みじんに砕け散り、痙攣する血だらけの肉塊に成り果ててしまった。


続いてアシュタルテ人が降らせた大岩の豪雨は村落を叩きのめし、大勢を下敷きにしてその生命を無残に奪った。


出先から戻ったレッドラフの目に、彼の世界がいかほどの地獄に映っていたことか、想像に余るものがある。

侵略者への憎悪、復讐の誓い、しかしそれ以上に深い悲しみが彼を打ちのめし、彼はしばらく、ただうなだれていた。

しかしやがて、残された一族の未来を思って気を取り直し、常緑カシの更に高い位置へと逃れていった。


不運にも、天候までがレッドラフの敵に回った。

その年の冬、常緑カシの樹冠にこんもりと積もった雪に洞穴を穿うがって住まいとしていたレッドラフの頭上に、季節外れの雨が滝をなして降り注いだ。

間もなく戻ってきた寒気に、雨水は染み込んだ雪もろとも固く凍りつき、レッドラフの一族を中に閉じ込めたまま、常緑カシの樹冠を一面に切れ目のない氷のドームで覆い尽くしてしまった。


飢餓に苦しむ一族を引き連れて、レッドラフは必死に、どこにもない出口を探した。

無慈悲な氷に対抗するにはあまりに非力な彼らの得物で、やっと氷盤に穴を空けて脱出したとき、生き残っている一族はごく僅かだった。

春になって雪が溶けると、生き延びられなかった者たちもやっと氷から解放されることができた。

わずかに残っていた骨と皮、衣服の切れ端は、雪解け水に押し流されて林床へと落ちていった。


なおもアシュタルテ人による迫害はレッドラフに迫る。

氷の牢獄を生き延びた、亡き妻の忘れ形見であり、今ではたった一人残った娘、うなじの髪の一房をねずみの尾のように左右に揺らし、

幼くして失った母との、叶うことのない再会を夢見ながら懸命に生きてきた娘は、かれの目前で、母と同じ命運を辿った。


再び天涯孤独の身となったレッドラフ、今やこの惑星の先住民の最後の生き残りとなった彼の存在は、

アシュタルテ人にとっても注目に値する、なんとしても息の根を止めてやらねばならぬという意欲の対象となるものだった。


アシュタルテ人の手口を覚え、巧みに逃れ続けたレッドラフに引導を渡したものは、アシュタルテ人が母星で猛獣狩りに使用していたトラバサミの罠だった。

それは彼の膝を砕き、たとえその恐ろしいあぎとから脱出できたとしても、もはや彼が逃げ隠れすることを不可能にした。


散々な骨折りの末にやっとレッドラッフを捕らえたアシュタルテ人は腹いせに、

死に至るまでのその苦しみをできるだけ長引かせるために、わざと急所を外した釘で、レッドラッフを常緑カシの幹にはりつけにして去っていった。

むごい苦しみは、二昼夜にわたってレッドラッフの身体を苛んだ。

三日目、息も絶え絶えにしてなおも生きねばならなかったレッドラフの前に、竜ヤンマが樹冠に羽音を響かせて姿を現し、一気に彼に襲いかかった。


それは無残な終わりかたではあったが、レッドラフにとって全くの、慈悲の一手であったと言えるだろう。

流れ出た血が、林床へと滴り落ちてゆく。

それから歳月の後、常緑カシもとうとう枯れ、この惑星もまた生き物の住めない土地に変わっていった。

赤茶けた砂塵を巻き上げて、風だけが吹き抜ける、赤い星に―――



その一話を読み終えて、アマリリスはため息とともに本を閉じた。

よりによってなんでこんな救いのないお話を、、と思いながら結局読み切ってしまった。

遠い未来に、あるいはこの広い宇宙のどこかでこんなことが行われていたら、

この物語のなかの侵略者みたいなのがもし実在したら――と考えると心底うんざりする。


外はじきに日が沈もうかという、暗く陰気な夕暮れだった。

北からの風が強まり、臨海実験所の窓ガラスをカタカタと揺らしていた。

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