第506話 越えがたい隔たり
一人でオシヨロフに残ると決めてから、
生存の手段は大半をオオカミの姿に頼っていた。
だから人間の姿に戻る理由はほとんどなようなものだったにも関わらず、
実際にはアマリリスは、多くの時間を人間の姿で過ごしていた。
”人がいてはいけない場所”
異界、
方向を失わせる樹木の迷宮に感じる不安、密生した藪の憂鬱、それらを閉ざす霧雨の寒さ、といったものは、
もちろんオオカミの姿になってしまえばたちどころに消失するし、
人間の姿でいるときも、臨海実験所からヘリアンサスやファーベルたちが去ってからほどなく、汐が引くように薄らいでいった。
道なき森を放浪し、飛沫をあげる急流を渡渉することの疲弊、身体を蝕む湿気や寒さの苦痛、
といった物質的な条件は何も変わらないにも関わらず、それに苦悩するアマリリスの心のほうが、どこか麻痺してしまったかのようだった。
アマリリスが必要以上に多くの時間を人間の姿に割いたのは、
そんな自分の変化に、人間性そのものを失いつつあるのではないかという危機感をもったから、
あるいはいっそ、そんな自分自身の変貌を楽しんでいたからかも知れない。
そして何より、人間の姿でいることは、自分に残された人間らしい心情、
それも、よりによって魔族であるアマロックへの愛を確かめることでもあった。
オオカミでいるあいだ、人と人ならざるものの間の断絶は感じない。
それは、この世で人間だけが特別な、他とは違う生物だから、というよりも、断絶の感覚を感じるのが人間だけ、ということなのだろう。
そして、誰かを愛する心もまた。
アマリリスはオオカミから人間に戻るたびにこみ上げてくる、アマロックへの溢れんばかりの愛おしさに安堵し、心を震わせる喜びに身を置くと同時に、
自分が人間であるかぎりは越えがたい隔たりをも、ありありと実感することになった。
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