第503話 さて、と。

アマロックの身も蓋もない無関心ぶりには、イラッとさせられるところもあるにせよ、

あれこれ考え連ねたところで、スピカと仔ジカのことを理解したり、まして彼女たちを救うことには一向に繋がらないのも事実。

そしてアマリリスはアマリリスですべきことがあり、一日中2頭を観察しているというわけにもいかない。

面倒だが、一度オシヨロフまで戻らなくては。


アマリリスは、動物が止め足をするような調子で四つん這いで後退し、”観察ポイント”を離れた。


スピカからは見えない、丘を下ったところで立ち上がり、膝についた枯れ草の屑を払った。

冬にはトワトワトを離れ、南へ帰っていく渡り鳥たちの、最終盤の一隊が、V字型の隊列を作り、長旅に向けてお互いに活を入れるかのようにやかましくき交わしながら、広い空を渡っていった。


その一方で、すっかり葉を落としたダケカンバの枝や、冬でも緑のトウヒの葉陰では、

セキレイやゴジュウカラといった冬でもトワトワトに留まる鳥が、じきに足音を踏み鳴らしてやってくる雪嵐ヴェーチェルのことなど素知らぬ様子で、案外賑やかにさえずり合っている。

彼らに勇気づけられた気分で、元気が湧いてきた。

アマリリスは力強い足取りで、オシヨロフ岬の尾根を越えていった。


足元には、台地の懐に抱えられたようにして建つ、臨海実験所の赤い屋根が見える。

その傍らで洗濯やら薪割りをするものが居なくなった今、長年の風雨にさらされた板壁も漆喰もいっそうすすけて見え、

アマリリスは今日も実験所には寄らず、オシヨロフの内浜へと下る坂を通って、イルメンスルトネリコのほうへと向かった。


冬枯れの景色の中、ダケカンバやハンノキの枝が絡み合う木立の上に、巨木の梢は今日も高々とそびえている。

――あたしはいったいあと何回くらい、こうしてこの木を見上げることになるんだろう?


そんなことを考えながら、古木の幹の、根元近くに空いた大きなうろから、鯨の膀胱の袋と、オオカミの毛皮を取り出した。

毛皮のほうは、トネリコのごつごつした根の上に預けておいて、衣服を脱ぎ、ひとつひとつ袋に仕舞っていった。

いまだに、野外で”服を脱ぐ”というのはいくらかの抵抗が拭えなかった。

誰もいるはずがない(いるとしたらアマロックぐらい)とわかりきっているのにやっぱりキョロキョロしてしまう。


それならそれで、人間としてのプライバシーを守ってくれ、かつ、今や誰の目を気にする必要もなくなった臨海実験所の屋内で着替えればいいようなものだが、

奇妙なことにそれも落ちつかないというか、どこかかつての住人に隠れて不品行なことを行っているような、後ろめたい気分にさせられるのだった。

最後の肌着を収めた袋をうろに仕舞い、オオカミの毛皮をまとう。


強大な翼を得て天を駆る、移行の感覚を経て、

訝しみ、気掛かり、気後れに羞恥、人としての煩わしい感覚の一切から解放された異界の獣となって、アマリリスは走り出した。

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