第502話 誤謬の寓話
「こんなことってあるの??
オオカミが、シカの赤ちゃんの子育てするなんて?」
スピカの振る舞いを不気味とまでに感じるアマリリスに対し、アマロックは興味のかけらもなさそうに答えた。
「さぁね。
しかし君ら人間だって、自分ではまるで
何がしたいのか分からないことをよくするじゃないか。
オオカミだって同じことだろう。」
「・・・」
いやいやそれと一緒にされるのも、、
――けれど実際、そこに探るべき理由などは存在しないのかもしれない。
自然は、人智など遠く及ばない精緻さを見せる一方で、滑稽なほど単純な過ちを犯すこともよくある。
たとえば雨上がりの
そういうしくじりは、アマリリスが
それでもなお納得がいかない思いが残った。
トンボの場合、その目に映る水面が、羽化するまでの住みかとして、食料も期待できる本物の湖水か、出来たばかりですぐに消え失せてしまう水たまりか、その区別が難しいというよりは、
実際のところは、それを見極める目を持ち、1回1回の産卵場所の選択について慎重であることよりも、
同じ時間でより多くの回数、様々な場所に卵を産みつける生存戦略のほうが、その何割かはムダ弾になったとしても、結果的に多くの子孫を残せるということなのだろう。
だから自律創出の力は一向に、湖水と水たまりを見分ける能力をトンボに与えない。
しかし、トンボにとっての水たまりのように、スピカには仔ジカが、たとえば自分の仔の形に「見えている」、ということはありそうもない。
それを確かめるために、アマリリスはわざわざ、2頭の前でオオカミに変身しさえした。
間違いない、人間の目にこれはシカの仔だと映るように、オオカミの視覚にも嗅覚にもそれはシカの仔であり、他の何物でもあり得なかった。
だとすると考えられる可能性は3つ。
①スピカは狂っていて、シカの仔を捕食対象ではなく保護する対象だと思いこんでいる。
②この仔ジカは実は魔族で、
③種族や、異界の論理を超越した崇高な愛が芽生え、両者をわかちがたく結びつけている。
:①だとしたら、これまでの狩りの場面で、幼獣を含むアカシカの群を普通に追い回し、狩人としてはアマリリスよりずっと巧みに振る舞っていたスピカが、仔ジカ限定でそんな器用な精神異常をきたすものだろうか??
:②今だに正体のわからない
もしそうだとして、仔ジカ魔族はスピカを操って、それからどうするつもりだというのだ。
たしかに一時しのぎにはなったけれど、スピカにこのまま保護されていても、仔ジカの表出型でいるかぎり見通しは暗い。
実際、アマリリスの目にも、仔ジカはじわりじわりと体力を弱らせているように見える。
魔族のすることだからわからないとも言えるけれど、スピカの行動の明白な異様さと、仔ジカの、仔ジカそのままのいたいけさは、どうにも重なり合わない。
:③異界のことを知らない人間なら、そういう説明を好み、そこに心温まる交流を見出したことだろう。
しかし、アマリリスはもう、そういう寓話を素直に信じることができなかった。
だいたい、そういった人間にとって馴染み深い心がスピカの中に生まれているのなら、他ならぬ人間であるアマリリスがそれに気づき、共感もするはずではないか。
ところが相変わらず、アマリリスにはオオカミの心が、スピカのみならずサンスポットやアフロジオンの心も感じ取れないのだ。
同じ群の仲間として暮らしていてさえ、感じるのは分厚い石壁に隔てられたような断絶、そして石壁の向こうには、声は聞こえども、どうにも人がいるとは思えない空虚の感覚だけだった。
そこまで考え及んで、アマリリスは、じつは②と③を区別する必要はないのかも知れないと気づいた。
仔ジカの精神に、スピカを操って利益を得ようとするような悪だくみと狡猾さがないとしても、
両者の間に、人間が見いだしたがるような分かち合いの心や、崇高な精神の発露がなかったとしても、
異界の住人に、人間の目にはそのように映る行動をとらせる状況は起こりうるのではないか。
「パブロフシステムなの?これも」
「さあな。
ひとのことは分からんよ、おれには。」
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