第501話 雌狼と仔鹿#4

あれから3日が経ったが、仔ジカは発見されたときの湖畔の野原を離れようとはしなかった。


それは、離ればなれになってしまった本当の母親が、この場所で待つように指定したからかも知れないし、

見捨てられたことに打ちひしがれて動く気がないだけかも知れないし、

状況の不可解さに、この場所は何か特殊な抑制の力が働いていて、離れたらスピカに食われると思っているのかも知れない。


一面の枯模様の野原だが、枯れ草の足元には、イワブキやガンコウランといった下草がこの時期でも緑を保っており、

そういったもので、仔ジカはかろうじて食いつなぐことが出来ているようだった。


降り注ぐ陽は明るく、仔ジカの毛並みを美しいあかがね色に輝かせたが、すでに晩秋の陽射しであり、熱量はなかった。

風は冷たく、アマリリスも今日はジャコウ牛のセータを着て臨海実験所を出た。

仔ジカは、北風を遮り、その体温で暖めてくれる親ジカの存在を、まだ必要としているように見えた。

スピカもまた、その役割を買って出たがってるように見えた。

ところが両者の間には見えない緩衝材が埋め込まれているように、それ以上は縮められない距離があり、これだけ甲斐甲斐しく尽くしていても、今なおスピカがじかに仔ジカに接することは出来ないのだった。


人と獣が理解し合えないのはこういう部分だと思う。

仔ジカにスピカを拒絶させるものはどういう感情なのか、恐怖か、嫌悪か、もっと想像も及ばないものか。

スピカはそのことをどう感じるのか、悲しみか、困惑か、人間には共通しない考えなのか。

それはいくら2頭を眺めていても、アマリリスには全くわからないことだった。


理解し合えない相手ならば、何があっても不思議がることはない、という考え方もある。

実際、獣の側は、人間と理解が通じないことに考えを巡らせたりはすまい。

ところがアマリリスは、どういうわけか、このスピカと仔ジカの行動を理解できないことに、苦痛にも似たもどかしさを覚えるのだった。

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