第500話 雌狼と仔鹿#3

さて、どういうことかしらね??

状況を整理してみようか、と、アマリリスは背筋を伸ばして自分自身に提案した。


仔ジカがシャクナゲの茂みにいた理由。

アマロックに聞いたところ、まだ脚力の心許ない仔ジカというのはそういうものらしい。

保護色を生かして、周囲の茂みや草むらなどになりきり、捕食者が近づいてきても、じっと動かず物音一つ立てずにやり過ごすのだという。


なかなか度胸を試される危険回避術だと思うが、シカ以外でも、例えばウズラなど、

幼生の無力な時期を同じような生存戦略で乗り切る動物は少なくない。

長い年月の間に彼らが獲得した隠匿いんとくの技術、周囲に溶け込む配色や、完全な静止といったものは神業のレベルに達しており、

捕食者の方は、その一帯にごちそうが潜んでいるとわかっていてさえ、なかなかその姿を探り出せず、捕獲を諦めることも多いのだ。


それなのになぜこの仔ジカがサンスポットに見つかってしまったかというと。

サンスポットの慧眼けいがんもあるだろうが、仔ジカのほうも、既に、ただひっそりと茂みに隠れているだけの月齢ではなかったのだろう。


アカシカは春から夏にかけて出産し、晩秋のこの時期はそろそろ乳離れがはじまって、

隠れ家で親の帰りを待っているよりは、一緒について歩いて、森の様々な食べ物の味を覚えるようになる時期だ。

あのシャクナゲの茂みに隠れていたのは、親ジカとはぐれ、このあたりを探し歩いていた時に、天敵の肉食獣があらわれ、咄嗟に逃げ込んだ、ということのようだ。


いったい仔ジカはどこから来たのか?

時期的に、このときオシヨロフのなわばりにいたアカシカの群は1群だけ、

先ほどかれらが追跡の末に収穫を得た、そしてそのまま、どこへとも知れない原生林に走り去ってしまった群だった。

仔ジカもその母親も、その群の一員だったことはまず間違いないだろう。

そしておそらくはオオカミの襲撃の混乱のさなか、脚力に劣る仔ジカは、群から振り落とされてしまったのだ。


そして仔ジカの母親はどうしたのかというと。

オオカミ達が、昼飯にしてしまったアカシカが、まさに仔ジカの母親だったのか(実際、牝だった)、

それとも走り去ってしまった大多数の中に、我が子を見失った母ジカがいたのか、

いずれにせよ、アマリリスが期待を寄せたように、母ジカが迎えに来るようなことは起きなかった。


ここまでは、そしてサンスポットに発見されてしまった仔ジカが本来辿るはずだった運命を含めて、

人間の目には陰鬱で痛ましい出来事として映るにせよ、特に不思議がるようなことではない。

不可解なのは、そう、なぜスピカが仔ジカを救けたのかということだ。あんたオオカミよね??

アマリリスはそこまで丁寧に考えてようやく、自分の心を占める不可解の感覚をしっかりと捉えることができた気がした。


最初は、てっきりスピカが(獲物としての)仔ジカを横取りしようとしているのかと思った。

けれど明らかにそうではない、スピカはアフロジオンから、サンスポットから、仔ジカを守り、危害を加えることなく見守っている。

その後もつかず離れずといった調子で、仔ジカのことを気にかけ、その身に忍び寄ってくる森の様々な危険から遠ざけてやっているようだった。


アマリリスと並んで当惑していたのは当の仔ジカだっただろう。

スピカはアカシカではない、どころか恐ろしい天敵のはずのオオカミだ。

そして当然ながら、彼もしくは彼女の母親でもない。


それなのに、こんなことってある??


食うものと食われるものとしての両者の関係が、いったいどんな手違いがあったら、庇護するものとされるものに変化するというのだ。

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