獣たちの記憶

第494話 追放の王#1

それは、亡国の王者の物語。。。


幼くして負った、そして生涯で幾度となくその身を襲うことになる、受傷の痛苦を引き摺ったまま、

彼はそれっきり二度と、王族としての、そして家族との、幸福な生活の記憶が残る地に踏み入れることはなかった。


もはや彼に、帰路を恋しむ故郷の家は存在しない。

だから自分は迷い子ではない。それは、彼に残された唯一の矜持だったのかも知れない。


もとより、人好きのする愛らしさとは無縁の子どもではあったが、

受難の日々はいっそうに、彼の心を憂鬱で陰険なものに形づくっていった。


ただ一人の友もなく、一方で敵は絶えることがなかった。

強大な庇護者のもとにあったときは、彼を畏れ敬いかしづく臣下とも思えた者たちがいっせいに、彼の迫害を愉しむ側に回った。

直接に彼を打擲ちょうちゃくする力量のないものは、彼の頭上に騒ぎ立て、迫害者を呼び寄せようと目論んだ。

病もまた次々に襲っては彼を苦しめ、再び傷つき、ひとりぼっちで惨めだった。



なぜせめてそっとしておいてくれないのか、偉大な母王がよみがってさえくれたなら・・!

虚しい問いや願い、ありとある敵への憎しみ、怒りと怖れ、苦痛をこらえる複雑な当惑の色を彼の双眸から拭い去ったものは、

結局のところ彼自身の力、限界に達した忍耐の末に発した、禍々しい復讐の愉悦だった。

畢竟ひっきょう、安息を願うならば戦わねばならぬ、迫害者を撃滅して勝ち取らねばならぬのだ。

苦渋の末に、それが彼の得た教訓だった。


その後も、艱難は尽きることなく彼に降り掛かってきた。

強大にして老獪な巨魁に、恐ろしい武器を携えた死神の猟犬ども。

幾度となく傷つき、時には身体の一部を失う深手を負いながらも、彼はことごとくそれらを退け、叩き潰して撃退してきた。

年を経るごとに彼は強大な、そして危険な、彼の支配域に並び立つもののいない猛者にのし上がっていった。


あらゆる生に寄り添う裁定者は、彼女もしくは彼の稚児たちに、決まってふたつの盃を提示すると言われる。

苛酷な苦悩に満ちた幼年時代にめた辛酸は、競合に倍する膂力を獲得した壮年期、絶大な権力の甘美となって彼に報いた。

一方で他者との融和を拒み続けた彼は、伴侶や友に心を慰められる喜びを知ることもないままに、やがて老成の域に達しようとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る