第490話 中心軸の塔
針のように細い尖塔は、山々の間の谷から真っ直ぐに立ち上がり、山脈の尾根を超え、雲に肩を並べ、
夕暮れの空に現れはじめた星々の間へと延びていた。
尖塔の周囲を巻いて登る、何千段あるかわからない階段は、もう間もなく終点に届こうとしていた。
尖塔は、その頂上に
この高さまで登ると、地上に聳えるどんな山も、その向こう側を見晴るかす事ができる。
星の世界から見下ろせば、尖塔の基部、ヴァルキュリアの城砦が建つトワトワト脊梁山脈の先に、カラカシス山脈の
沈みゆく日の光を受けて金色に輝く尾根のはるか先には、まだ真昼の陽光を浴びている、ウィスタリアの緑の野までがわずかに見えていた。
エメラルドの雫のようなその形貌は、あまりに遠いために、空気のゆらぎを映して絶えずかすかに震えている。
その果てしない距離をさしおいても、自分には決して、踏み入れることを許されない地を眺めながら、アマリリスは既に人一人通るのがやっとの階段を登っていった。
塔の躯体はその頂上に、さながら幽世に咲く花の子房といった風情で、とうに忘れられた文明の遺構のような、奇怪な構造物を戴いていた。
アマリリスが登ってゆく階段は中心軸の塔を離れ、次第に螺旋を広げて空中に延びているので、そちらには近づけないのだが、どうやらガラス玉オルガンであるようだった。
実際、階段の一段一段も、黒鍵の小段も備えた鍵盤でできていて、さっきから鳴り渡る楽曲はアマリリスの一歩一歩が奏でているのだった。
いや、そんなわけはないか。
アマリリスの靴底が鳴らすのは、普通なら足鍵盤で奏でるような基底の旋律で、楽曲の主旋律は中心軸のオルガンの演奏台に着いた人物が鳴らしているようだった。
クリプトメリア、かと思ったが違う。
だいたい博士は、オルガンが弾けないんだった。
やっぱり、あれはお父さんなんじゃないだろうか??
””いずれこの世界には真の災厄が訪れるだろう。
劫火に焼け落ち、濁流に呑み込まれ、地上の一切は無に帰する。”
遮るもののない風に吹き流される髪を、はためく衣服の裾を押さえ、アマリリスは懸命に目を凝らした。
山嶺に沈もうとする日の残照を受けて、その黒い影のような人物は、どんな姿かたちをしているのか、そもそもそこにいるのかいないのか、じれったくも判然としない。
””その時、死に絶えた地上に振り撒かれ、世界を再生する未来の種子として。
ここにこれを残していく。
その身は滅びようとも、ともに未来の礎とならんことを。”
アマリリスが両手を翳すと、掌に包まれた空間に、清澄な青い光が灯った。
オルガンの奏でる楽曲がそれに呼応して、誰かを招き寄せるように旋律が波打つ。
光は鬼火のようにゆらめきながら、オルガンの中に吸い込まれていった。
雨だれが木の葉を震わすような響きを残して、
トワトワト臨海実験所のガラス玉オルガンは、完全停止の予備動作を終了した。
演奏台横の袖机にもたれてうたた寝をしていたアマリリスが目を覚ますと、迎えの船が来る日の朝になっていた。
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