動き始めた世界
第485話 円環の破断#1
臨海実験所を取り巻く異界は、そこに踏み入れれば踏み入れたぶんだけ新たな姿を見せてくる、開いた世界だ。
この夏のワタリでアマリリスもイヤというほど思い知った。
そして、長かったとはいえ有限の弧を描いた旅路の外側には、一層果てしない未知が広がっているであろうことも。
一方で臨海実験所は、不動の中心軸のように、時は過ぎ季節は移ろっても、
アマリリスがどれだけ遠くまで出掛けていっても、出発地と同時に到着地として変わらず在り続ける閉じた世界だった。
往々にしてあるように、アマリリスがそれに気づいたのは、円環に亀裂が入り、世界がその軌道を変えて動きはじめてからだった。
数ヶ月ぶりに袖を通した衣類は、確かに着慣れたワンピースなのになんだか窮屈で、肌触りも違和感があり、
アマリリスの帰還祝いだと言ってファーベルが用意したご馳走の、食料庫を総ざらいにしたんじゃないのっていう量に目を丸くし、
クリプトメリアまで実験棟から出てきて、では!バーリシュナの無事の帰還に!乾杯!とやって始まった晩餐の雰囲気に、きょろきょろしていた。
なんだろう、、人間の食卓っていつもこんなカンジだったっけ??
姉のことでひとしきりヘリアンサスをからかってから、
クリプトメリアはゴクリと唾をのんで、アマリリスのほうを向いた。
「実はだな。
私にとっては、正直なところ残念なニュースだ。」
残念と言いつつ、その四角い顔は満面の笑みを浮かべているように見える。
さらに、テーブルの上に置いた掌をしきりに擦り合わせながら、クリプトメリアは続けた。
「この実験所は、国立マグノリア大学の附属施設で、したがって諸々の運営費用は、国庫から出ている。
ところが、昨今、まぁ、戦争ばかりやってるせいだな。国の財政は非常に厳しい状態にある。
そこで、各省庁には、削れる経費は何でも削れと、政府からの通達が出ているんだ。
教育、研究の部門は、比較的風当たりがゆるい方だが、例外ではない。
重要性の低い、カネのかかる研究や、施設は、軒並み打ちきりになっている。
で――、今期の審査で、このトワトワト臨海実験所も、除却、つまりは閉鎖ということになった。
私たちは、マグノリア市に戻る。」
目の前が暗くなった。
「まだ少なくとも、3年分はデータ収集の必要がある研究を抱えている身としては、実に残念だ。
だが、もとより、トワトワトは一生いるような場所ではない。
ファーベルや、君たちの今後のことを考えれば、もうそろそろ文明社会に帰るべき時期だろう。
私の研究の完成なんか待っていたら、君らがじいさん、ばあさんになってしまうかも知れんからなぁ。」
クリプトメリアは一人で、さも愉快だというようにわははと笑った。
そして改まって、
「そういうわけで、急だが、再来週には迎えの船が来る。
マグノリアに行ってからのことも、心配しなくていい。
もとい、心配しなくていい、というのもおこがましい物言いだと思っておってね。
君たちがここにやって来た経緯を考えれば不謹慎だが、私は、我々の出会いに非常に感謝しているんだ。
ファーベルが、君たちがいてくれることで、どれだけ救われていたか。
我々の出会いは偶然だが、今、我々は家族だ。
場所は変われど、これからも一緒に暮らしていこう。遠慮は一切いらない。
マグノリアには、ここに来る前に、私とファーベルが住んでいたアパートが、そのままにしてある。
4人で住んでも十分な広さ、、いや、若干手狭かもしらんな。
まぁ、しばらくそれでもいいじゃないか。
頃合いを見て、郊外のでかい家に引っ越そう。」
4人。
そう、当然だが、そこにアマロックは数えられていない。
アマリリスは3人の顔を見回した。
さっきから落ち着きなく、暴君に仕える家臣のような薄笑いを浮かべている訳がわかった。
「あたしは。。。」
それを口に出すのはためらわれるものがあった。
が、迷いはなかった。
アマリリスは今一度自分の心に問いかけてから、落ち着いた口調で言った。
「あたしは行かないわ。
空気が一気に重くなった。
ファーベルは黙ってティーカップを見ている。
ヘリアンサスは明らかな怒りを浮かべてこっちを睨んでいる。
どうしてそんな目で見られるのか、分からない。
クリプトメリアが、のろのろと口を開いた。
「それはつまり・・・バーリシュナ、あなたが、アマロックを愛しているから、一人でここに残ると、
そう理解してよいか?」
「――そうよ。」
あまりにも的確に要約されて、アマリリスは少し開き直ったように答えた。
「なるほど。」
それでその場はおしまいになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます