第484話 円環の世界

アカシカとオオカミたちがそこを下ってゆくのを追いかけるようにして、山は秋の装いを深めていった。

地を這う矮木のツツジの赤、ヤナギの黄色が、ツンドラの野を抽象的な絵画のように塗り分け、地リスが、今年最後の地表の風と別れを惜しむかのように、ひくひくと鼻を鳴らしていた。


深山の谷あいに唐突に現れた、何キロも続く平原では、キンコウカの草原が陽の光を浴びて黄金の野となって輝き、青い宝石細工のようなリンドウの花が風に揺れていた。

所々に垂直に数メートルも穿たれた池塘では、紅葉したヒツジグサの葉が、暗い水底から立ち上がった赤い花のように水面を彩っている。


灌木の茂みから、次第に丈のある木が目立つようになってきたあたりで、山を登ってくるキュムロニバスと何体かすれ違った。

視界に捉えるよりもずっと手前から、オオカミの嗅覚は大気の中に潮の香りを嗅ぎ分け、

山並みの彼方に青黒くかすむ海を見るようになった頃から、ダケカンバの大木が立ち並ぶ、馴染みぶかい低地の森に踏み入れていった。


そしてとうとう、アマリリスにも土地勘のあるオシヨロフの森へと帰着したのだった。



アマリリスは人間の姿に戻ると、あとを振り返りもせず、臨海実験所を目指して駆け出した。

寸前まで思いもよらなかったことに、一刻も早くヘリアンサスとファーベルに会いたかった。


足早に通り過ぎる樹上のダケカンバの枝葉が、ナナカマドの果実が、その黄色や緋色の彩りそのままに、賑やかに話しかけてくるようだった。

おかえり、久しぶり。

ワタリの旅はどうだった?

探していたものはみつかった??

と。


うんただいま。

でも当分、というか、オオカミはもういいかも。

この毛皮も土に還そうかな、なぁんて。。。


そんな考えがぽっと浮かんだことに、自分でびっくりだった。

あたしがそんなことするはずがない、どころかさらさら思ってもいないくせに。

全くどうしちゃったの、アマリリス。

長旅で疲れた??


ううん楽しかった、アマロックとずっと一緒にいられて本当に幸せだった。

もう人生で望むことなんて何も残ってないぐらいだよ。


ずいぶん長い旅だったけど、

ヴァルキュリアとか古代サイとかファべ子とか、思いもしなかった出来事が沢山あったけど、

そしてついに”あの山の向こう”まで行ったのに、世界は、びっくりするくらい何も変わらなかった。


この夏、ワンチャン実現するかな?と思ってたあれこれ、

幻力マーヤーが何なのか、やっぱりわからなかった。

なんならあたしはまだ、処女のままだし、

アマロックに「好き」のたった一言も言えなかった。


オオカミの、そして魔族の心の在り処もわからずじまいだった。


鮮やかな秋の森までが、彼女の心の痛みに同調して身を震わせたかのようだった。

そしてそのまま押し黙ってしまった・・・


でもわかってる、そんなのはただの錯覚。

視界に一瞬、涙が滲んだだけよ。

森は最初から、なにも喋ってなんかいない。


アマリリスは目尻をぐいと拭うと、この夏のワタリの最後の旅路、

オシヨロフの肩から内浜へと下る坂をかけ下っていった。


「ぅおぉーーぃ、ヘーリアーン!」


ちょうど、臨海実験所の前庭で、流木の薪を割っていたヘリアンサスに大きく手を振った。


「!おねぇちゃ・・・ッ!

って、服!服ーー!!!」


羽織っていたオオカミの毛皮が、疾走の風圧にはだけ去ったのも構わず、

後じさりつつも目はかっと見開いたままのヘリアンサスに駆け寄り、力いっぱい抱き締めた。


ファーベルが勝手口から飛び出してきた。


「ただいまっ!

ファーベル。」


アマリリスは、いつの間にか彼女と変わらない身長になっていた弟の肩越しに、ファーベルにVサインを作ってみせた。


「よかった。。!!

おかえり、アマリリス!」


今さら何かを天に祈るように手を揉みしだいたファーベルの目には、

心からの安堵と共に、どこか、不安とも恐れともつかない表情が影を落としていた。

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