巨大城砦脱出記
第475話 黒の女王の接見
まだ粉雪がちらつき、白夜も明けやらぬ頃。
古代の火道の名残の岩塔に、一羽のワタリガラスが羽を休めていた。
時折、白く濁った瞬膜をはためかせつつ、綿雪を被り、動くものの気配もない広大な世界に向かって、
まるで大勢の往来を見送るかのように、その大きな頭部を振り動かしていた。
突如、その頭上を漆黒の翼が、
しかしワタリガラスの何倍あるかもわからない巨大な飛影が、疾風のように飛び抜けていった。
驚いたワタリガラスは羽ばたき、一時その
外来の「正門」は、すり鉢状の火口の底にあって、門扉はなく、
かわりに2体の、特別に巨大な
黒光りする重厚な外骨格で全身を覆い、その重量のために長距離の移動はもはや困難になっていたが、
有事の際は文字通り盾となって敵の侵入を食い止める防衛の要だった。
周辺には、兵卒の出入り口を兼ねる砦やトーチカがいくつかある程度で、
彼女たちの競合のそれと比べ、地上で目につく構造物は小規模だったが、山体をくり抜いて幾重にも穿たれた複雑な階層は、その地下に計り知れない規模の大城砦を構成していた。
砂礫と雪を踏んで、黒衣に身を包んだ来訪者は入り口に近づいていった。
門番の大
”客人”に向かって恭しく一礼した。
正門から数階を下り、身振り手振りの案内で通された貴賓室では、秀麗な立ち姿の
当然ながら、昨日まとっていた、鈍重な白無垢の外装は取り去られ、重防御よりも俊敏さに重点を置いた武装は、クロアゲハの羽のように、光線の具合で多彩な色合いを見せる。
凛とした佇まいを引き立てる機能美は、一方で、アマリリスがツンドラの野に看取った名もない兵卒のそれと、何ら変わらないものだった。
案内を務めた2名が小走りにその両脇につき、頭ひとつ抜き出た長姉を中央にした3人は改めて、直立で掌に拳を受ける、息の合った礼を執った。
「おはやいおつきでしたなぁ。
うっとこの城砦へようこそ。歓待しますによって。」
来客の黒いフードの奥から、金色の瞳が3人をじっと見つめていた。
「交渉は女王と、という取り決めだったはず。
――ということは、やはりあなたが黒の女王ということでいいのか。」
長姉は口許を押さえてほほっ、と笑った。
「やはり、わかってはったんね。
おっかない御仁や。
ヨルミヤと申しますぇ、よろしぅに。」
「途中で”遠めがね”がおらんようになって、見届けられへんかったけど、
あんさんの目論見通りにことは済みはりましたんか。」
「期待以上にな。
それに
「ほほっ、おっかないおっかない。」
「あなたがたには、あの手この手で揺さぶりを掛けてもらった。
ささやかだがこれは礼の品だ。
よかったら取っておいてくれ。」
アマロックはそう言って、6日の間彼の右手の甲を覆っていたものを引き剥がした。
赤黒い手甲は、その瞳の光を失うとともに枯れ葉のように萎び、ぱらぱらと剥落していった。
破片を払い落としたあとに現れたのは、赤い骨片を連ねたようなネックレスだった。
アマロックが小卓の上に置くと、それはたくさんの
逡巡するヨルミヤに、アマロックは笑って言った。
「確かに、あなたが手に取るのは止めておいたほうがいいな。
適任の実験台がいるだろう。
手間も省けるからここに連れてきたらいい。」
ヨルミヤが、脇に控える2名の上級兵に向かって頷くと、2人はいったん退室した。
戻りを待つ間、小卓の上でじっと赤いとぐろを巻くネックレスを見つめ、ヨルミヤは訊ねた。
「結局んとこ、それが全て――
赤の女王やらいう
「解釈次第というところだ。」
アマロックは悪びれる様子もなく答えた。
「”私/我々”、あなたがたの言い方では”うっとこ”と同じさ。
姿かたちは見えず、けれどその意志は確かに存在しているとも言える。
赤の女王自身は自分の旅団は持たず、おれのような、伝道者であり便乗者を介してその意志を実現しているわけだ。」
上級兵2人が、一体の
「これはこれは。」
アマロックは愉快そうに笑った。
「なかなかどうして、うまく化けていたんだな。」
しかし、テイネ[仮]との決定的な違いとして、その腰には薄茶色の獣の皮を帯びていた。
テイネ少年に赤の女王のネックレスを手渡しながら、アマロックはヨルミヤに言った。
「”陥落”によって、あなたがたの競合はもはや戦略上の脅威ではなくなった。
この先どうするかはあなたがたが決めることだ。
調停半ばだった和平を遵守して共存の道を選ぶもよし、ただちに攻撃を再開して、赤の女王の領土を削りに挑むのもいいだろう。
だが万一、不幸な手違いでもあって、
一切の戦争を終結させる
漆黒の
その内に秘めた強大な破壊の力が想像できないほど、なめらかで繊細な動きを見せた。
「・・・なんて言うてはるんやろか?」
アマロックが翻訳した。
「『私/我々、天険のキリエラは勧告する。
あなた方、黒の旅団が赤の女王の意思を汲み、白の旅団との和平のうえに繁栄を築くことを。』
――以上だ。」
帰路は、客人たちを見送ってヨルミヤも爆裂火口の縁のところまで出てきた。
「あの大けものの子ぉらにもよろしう。
今回はご縁あらへんかったけど、またの機会に来てくれはるなら歓迎するさかいに。」
「もうあの子ぉ”ら”ではないんだが。
むろん趣旨は承った、伝えておくよ。」
「あんさんにもずいぶん、うっとこばかりご贔屓にしてもろて。
それにしてもなんで、この姐はんが女王だと見抜きはったん?」
「”うっとこ”と言いつつ、明らかにあなたは自分の意志で発言を決めていた。
そういう王が全軍の陣頭指揮を執る旅団に、当分赤の女王の出番はないかも知れないな。
テイネと2人で大嘴の怪鳥に跨り、露払いの2騎について、異能王はツンドラの野に去っていった。
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