第474話 赤の女王の意志#2

その「声」は、トヌペカの身体のどこか、奥深いところで聞こえた。

トヌペカははっとしてユクの顔を覗き込んだ。

が、依然としてその瞼は閉ざされたままだった。


#トヌペカ、、!

#あ、、会えるなんて。思ってなかった、もう会えないのかと。。。


ユクの声は震えて途切れ、彼女を押し包む粘液がぞわりと動いてトヌペカを掻き抱いた。

ひやりとした魔物の感触に戦慄と、しかし確かに母のぬくもり、ユクの心を感じ取って、トヌペカは夢中で抱き返した。


永遠とも刹那とも思える抱擁ののち、

嗚咽に震えるトヌペカの背をそっと離してユクは言った。


## トヌペカ、わたしだけの、かわいいかわいいトヌペカ。

大好きよ、あなたがどんな人生をあゆんで、この先世界がどうなっても構わない、

ユクはあなたを愛しているわ。


ありがとうね、トヌペカの名を継いでくれて。

次の群族長と目された娘が代々この名を名乗るのは、それが族長としての心がけを言い表した名前だからなの。


でもあなたがイヤだったら、族長なんて継がなくていいのよ。

わたしの大切なトヌペカ、あなたがそうしたいと思うように生きなさい。


あなたの人生は、あなた自身のものよ。

あなたと、あなた自身が大切に思う人達の幸せや希望、願いや、色々な思いのためにこそ、その人生には生きる価値があるのだから。

けれど忘れないで、”トヌペカ”。

沼貝の苦しみにも寄り添ってあげる、優しい心のことよ。。###


不意に、足元のはるか深くから突き上げる震動が襲い、城砦全体が身震いするようにわなないた。

林立する塔が破断し、構造物の破片が吹雪を突いて落下する。

その拍子に、ユクの身体は赤い粘液の中に引き込まれて見えなくなった。


# ユク! やだやだっ、ユクーー!!


夢中で追おうとするトヌペカの身体を、夥しい量の赤い粘液の襞が拒み、押し戻した。


「トヌペカ!」


マフタルが駆け寄ってきて、トヌペカの肩を掴んだ。


赤い粘液は壁面を断ち割って広がり、今や尖頂の塔に巻き付いて、へし折ろうとしているかのようだった。

再び目覚めた城砦の、間断なく続く呻きのような震動に、あらゆる構造物が軋み、破断を重ねていた。


「行こう! 早くしないと脱出できなくなる!!」


マフタルが何度呼びかけても、トヌペカは言葉にならない声で叫び続けるだけで、耳を貸そうとしない。


ひときわ大きな震動が、城砦を基部から頂点へと貫いていった。

脈打つ岩のファサードが、石化の森のホールと岩山を結ぶ橋が崩落し、尖塔の林が、地すべりにあった樹林のように倒壊してゆく。


「あぶない!」


傾いた尖頂の塔が倒れかかってくる。

マフタルは夢中でトヌペカを抱きすくめた。

次の瞬間、2人は真紅の奔流に飲み込まれた。



崩壊し、城砦の壁面を転げながら地上へと落下してゆく構造物によって、城砦は轟音と、濛々たる土煙の雲に包まれていた。

そのまま大城砦そのものが倒壊するかと思えたが、やがて赤みを帯びた、樹木の太い根のようなものが城砦の内から伸び出てきて、

崩落のあばただらけになった城砦を包みこむように巻きついていった。


城砦を這い登っていく赤い根とは逆に、城砦のすぐ脇を、ゆっくりと地上に落下してゆくものがあった。

樹氷に覆われたナナカマドの果実のような、真紅の芯から長く伸びた長い羽毛様の房のかたまり。

それはちょうどポプラの種子のように、たなびく房が空気の抵抗を受け止め、核にあるものを安全に地上に帰すための仕掛けだった。



日の出とともに雪も風も止み、積雪に覆われた大地はまばゆく輝いていた。

着地の軽い衝撃とともに、「落下傘」の球形の核は5つに割れ、ハマナスの花弁が開くように、周囲に広がる房の上にばらりと広がった。

中から這い出てきたトヌペカとマフタルが見上げたものは、ずいぶん様変わりした、しかし変わらぬ偉容で聳え立つ城砦の姿だった。


初代女王のササユキが築き上げた城砦は、あたかも大樹が枯れ枝や古くなった樹皮を払い落とすかのように、外装の過半を崩落させたが、

その躯体にはこれといった損傷もなく、かわって大樹が再生した枝葉を茂らせるように、新たな装いをまとっていた。


尖塔や軒庇といった突出部の大半が剥落し、網目のようにはびこる赤い根に覆われているせいで、全体に丸みを帯びて見えるシルエットは、

旅立つ我が子の身を案じ、四方世界を見晴るかす久遠の丘に立ち続ける、巨大な母の像にも思えた。

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