第473話 赤の女王の意志#1

風はすでに弱まり、雨が混じりはじめていた。

言葉を発するものは2人のみとなった城砦の屋根で、アマロックは言った。


「首尾は上々

ご苦労だったな」


「・・・」


これで自分の役目は全て終わったはずだ、、とぼんやり考えているマフタルの頭に、ある不吉な想像が浮かんだ。

”赤の女王”の秘密を守るために、アマロックはこの場で自分を殺すつもりなのではないか、と。


にわかにその表情を曇らせた怯えの色を見て、アマロックは笑った。


「確かに、それも一案ではあった。

だが、赤の女王が意志を持つとしたら、おそらくお前を生かしておくことを望むだろうと思ってね。

それに、うちのバーリシュナお姫さまの希望でもある。」


「ジェーブシカ、、の??」


「その絡みで、おれはもう一箇所、寄るところがある。

お前は自分の役目を果たすがいい、まだ残っている。」


アマロックはそう言い残して階段を下ってゆき、すぐに、城砦を押し包む闇に溶けて姿を消した。

マフタルは安堵の息をき、乱流の先、一面の闇に覆われた地上に目を凝らしていた。



漆黒の草地を、岩場を、蹄が飛沫を蹴立てて走る。

天を衝く巨大な闇のかたまりを前に、本能からの警告によって前進を拒むようになった庇護獣の霊に見切りをつけて、

トヌペカは人間の素足で、闇の口となって開く正門の段を駆け登っていった。


ベラキュリアの姿の消えた城内は、どこか以前よりもなお異様さを増したように思えた。

不気味に静まり返り、通路を照らすヤコウタケの光が、眠りに落ちた魔獣の息のように、ゆっくりと明暗を繰り返している。

おびただしい分岐、縦横に這い回るパイプに頭上で交わる階段といったものは、本来、探索者を惑わす構造に違いない。

しかしどういうわけか今のトヌペカには、城砦がその奥へ奥へと招き入れる一筋の道を指し示しているように感じられていた。

見えない手に引き上げられるようにして、トヌペカはほとんど息を切らせることもなく、樹洞のテラスまでの道を駆け上がった。


雨雲を連れてきた寒気によって気温はぐんぐん下がり、雨はみぞれに、そして酷薄な雪と変わってゆく。

白魔の季節の到来を告げる吹雪がその白さを増す大階段をひた走り、ササユキの小城についた。

飴色のホールへと続く正面の入り口の前で戸惑うトヌペカは、吹雪の奥から、赤い鬼火が手招きしているのを見たように思った。

それは、列柱のエントランスの脇に登り口のある梯子段をなぞって、小城の屋上へと消えていった。




足元には真紅の渦巻がぽっかりと口を開き、その空間の一切を飲み込もうと、強大な力で回転を続けていた。

トヌペカのユクは渦の上に浮かび、自分が置かれた状況に困惑していた。

少しでも気を抜けば渦の中に吸い込まれていくのは明らかで、それも時間の問題だった。

だとしたらなぜ私は渦にあらがい、同化を拒んでいるのだろうか。。

その時、ユクは目を覚ませと呼ぶ、わが子の「声」を聞いたように思った。





#ユク!


城砦の天辺に聳える3つの塔の間を駆けずり回り、トヌペカはようやく見つけた。

城砦がその内臓をさらけ出したように、塔の壁面の一部がどろりと赤黒く溶け、ユクはその中にうずくまり、半ば取り込まれようとしていた。

その両腕は磔にされたように両側に掲げられ、赤い粘液が壁面へと押さえ込んでいる。


#ユク!ユク!


トヌペカは声にならない呻きを上げながら、その肩を力いっぱい揺さぶった。

しかしユクには既に意識がなく、その身に絡みつく赤い粘液は、固着した樹液のようにびくともしない。


#ユク!やだ、いっちゃやだ、

#目を覚ませぇーっ、ユク!


#えっ、、トヌペカ?

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