第469話 トヌペカ、よく聞いて。

骸棄階層から上層へと抜ける二重螺旋通路を、トヌペカとマフタルは駆け上がっていった。


ついさっきまで、単体でも隊列を組んで行進しているかのようだったベラキュリアが、

歯車が飛んだぜんまい人形のように右往左往し、そこが上りの通路か下りの通路かも区別がつかなくなっていた。

トヌペカはお構いなしに、彼女たちの間をすり抜けて走った。


登り坂の途中で合流する通路から、よろめくようにして現れた長身の姿に、トヌペカは息を呑んだ。


{ユク!}


矢も盾もたまらず駆け寄ったトヌペカを、かろうじて抱きとめたユクの腕は力なく、トヌペカがこれまでに見たこともない倦怠と、心ここにあらずといったうつろに脱していた。

庇護獣の形代まで失った全身のあちこちに、皮膚を強く擦られたような赤みが差し、激しい苦悶が体内の熱を引きつれてにじみ出てきたような汗に湿っている。

ヤコウタケの妖しい光のもと、トヌペカの目には母が、よほど耐え難い辛苦に延々と責めぬかれ、今やっと解放された咎人の姿に映っていた。


{ユク大丈夫!? 酷いことされなかった??}


自分の手話ことばに、とらえどころのない違和感を感じたまま、トヌペカは叫んだ ―― 目にも止まらぬ勢いで両手を振り動かし、腕を精一杯伸ばしてようやく掴める母の肩を乱暴に揺さぶった。

魂を抜かれたように覇気のなかった体幹がようやく力を取り戻し、ユクの両眼がトヌペカの皺を寄せた眉間と涙に濡れたまなじりに焦点を結ぶ。

その表情が、トヌペカが見たこともない困惑をたたえ、異界の風雪に荒れた頬が不可解な紅潮に染まった。


{・・・大丈夫よ、心配させたわね。}


安堵から、母の胸に顔を埋めて泣き崩れるトヌペカのつむじを、ユクは優しく撫でていた。

その様子を、マフタルは黙って見つめていた。

身の置き所がないのもあったが、掛ける言葉が見つからないのだった。

ユクが視線をあげ、一時、マフタルの視線と鋭く交わった。


{・・・トヌペカ、よく聞いて。}


トヌペカに視線を落とし、その身体を優しく引き離しながら、ユクは言った。


{今、この城は眠っているわ。

白拍子シパシクルも混乱しているから、今なら逃げられる。

けれど再び目を覚ましたら、どうなるかわからない。

今のうちにあんたは逃げなさい。

群族の連中を引っ張って、城の外に連れ出してほしいの。}


{えっ!? ユクは??}


{ユクも行くから。あとから、あんたのカレシと一緒に。}


トヌペカがあとずさり、その目に不安と怯えの色が走る。

ユクとマフタルを交互に見比べた。

・・・やっぱり無理筋か、トヌペカだものね。。


早くも意志の挫けかけたユクの視線の先で、トヌペカの表情から唐突に怯懦が消えた。

時に不可解な発露を見せる精神の強靭さが、その目にくっきりと現れていた。


{わかった!

いつもの草地で待ってるからね!}


そう言って、あとは振り返りもせずに螺旋通路を駆け上がっていったトヌペカの後ろ姿を、

ユクは驚きと共に、幾許かの寂しさで見送った。


{・・・さて行こうか、こっちが近道だわ。}


マフタルを引きつれて、群族の長は螺旋通路を横に逸れる通路へと去っていった。

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