第468話 ひと夏の・・・

夜も更け、透光地下茎植物を通して入ってくる白夜の光も弱まってきていた。

アマロックに言われたとおり、アマリリスは緑の箱庭で、彼が戻るのを待っていた。



願いごとのぶん、いつもより少しでも丁寧に応じようと努めた長いキスのあと、魔族は言った。


「引き換えに、というのはヤボな言い方だが。

貰い受けたいものがあるんだが、いいかね?」


「え? いいけど、、」


いいけど、あたしにあげられるものなんて何も、、はっ!

もしかして、女の子のいちばん大切なもの的なこと??


昨晩の夜伽、遂げられなかった思いが、その時の感触を伴って蘇ってくる。

恥じらいに頬を赤らめながらも、胸ははっきりと、期待によって高鳴っていた。


「きみの願いを叶えるためにも必要だ。」


・・・どうやら違うらしい。

ちぇ。



指先で喉元の素肌に触れてみた。

身につけていることをほとんど意識していなかったそれが、無くなってみると、自分の身から外れたことを鮮明に感じる。


そのゆくえや、それが自分の胸元を飾ることになった経緯を考えながら、

アマリリスはベラキュリアの兵卒が、大皿に盛ったオオカミたちの食事を運んでくるのを眺めていた。


迷いや躊躇ということを知らない魔族の足取りが、サンスポットたちの目前で、

何かに蹴躓けつまづいたか、あるいは支えられていたものを急に失ったかのように乱れた。

ベラキュリアはよろめきながら立ち止まり、困惑した様子で天井を仰いだ。


次の瞬間、ぽん、というような軽い音とともに、オオカミたちの身体を覆っていた銀色の縛めが弾けた。

長期間拘束されていたことが嘘のように、昼寝から起き上がるような軽やかさで、アフロジオン、サンスポット、3兄弟がゆらりと立ち上がる。

そのまま歩きだした2、3歩の助走の後に、アフロジオンは音もなく空中に躍り上がった。


オオカミがこれほど大きな動物だと、今日はじめて思い知った気がした。

緑の箱庭の天井に届くかと思うような弧を描いて跳躍したアフロジオンは、唸り声ひとつなく、困惑するベラキュリア兵士の喉元に喰らいつく。


肉を盛った皿がはたき飛ばされ、床に落ちて粉々になった。

仰向けに倒れた兵士は、喉から鎖骨のあたりまで喰い千切られて絶命していた。

サンスポットが、3兄弟が、次々とベラキュリアの兵士に襲いかかる。

迎える彼女たちには応戦の意志がないというより、兵士としての働きを行動づける統率を欠いているように見えた。

戦闘やツンドラの露から彼女たちを護っていた白い外骨格までもが、その責務を放棄したように、紙のように脆く引き裂かれ、砕け散っていった。


緑の箱庭にいたベラキュリアを全員片付けて、オオカミたちがアマリリスの周囲に寄り集まってきた。

アマリリスは困惑した。

オオカミたち、アマリリスにとって今や大半の人間より、心の置けない友が、これほどの殺戮を行いうる獣だったということに――

ううん、違う。

それは分かっていた。

困惑するのは、”これから”どうしようかということだった。


明らかに、城砦に何か異変が起きている。

隙を見せなかったベラキュリアが急にポンコツになって、今なら逃げられるかもしれない。

早く行こう、アフロジオンの足運びが、サンスポットの尾のしなりがそう訴えている。

それは、アマリリスの内に朧な霊として在り続ける、銀色の雌オオカミの声でもあった。


ダメだよ、あたしはアマロックを待たなきゃ。。。


””用件を済ませてくるから、いい子で待ってるんだよ。””


去り際にもう一度キスして、アマロックは言った。

けれど昨晩、最後にこうも言っていた。


””チャンスはどんな形でやって来るかわからない。

前髪だけの存在で、それも目には見えないとしたら””


アマリリスはきゅっと唇を結んだ。

周囲を見回すと、一昨日彼女が傘茸の箱庭から連れてきた、鼻長駒の母子がじっとこちらを見ているのが目に入った。


「あんたたちも一緒に来る?」


もちろん言葉は通じないが、今や沈黙した魔宮に佇む静かな眼差しは、

その問いに否と答えているように思えた。


「・・・元気でね。」


アマリリスは身を翻すと共に、長らく衣服として体に掛けていたオオカミの毛皮を被り直した。

銀色の雌オオカミを先頭に、6頭のオオカミの群は一陣の風のように、緑の箱庭を出ていった。

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