第461話 あたしからの、ただのお願い
晴れていた空に急に雨雲が広がり、やがて大粒の雨を降らせてきた。
アマリリスが建物の中に駆け込んだ頃には本降りとなり、樹洞のバルコニーの欄干も、石化の森のホールの高窓も、激しい雨しぶきに洗われていた。
拘束初日は彼女を囚えておく檻だった、網樹の作る岩の格子は、その前に立つとひとりでに壁に引き込まれ、アマリリスを中に迎え入れた。
大荒れの天気を映して、陰鬱な灰色に揺らいでる地底の空間で、鼻長駒の母子も、ファべ子の群族の連中も、アマリリスの仲間のオオカミたちも、世界から取り残されたようにじっとしている。
アマリリスはサンスポットの脇に腰を下ろし、その毛皮を撫でてやった。
オシヨロフの5頭の中で、サンスポットだけはこうしてアマリリスが触れるのを許してくれる。
首のあたりを掻いてやると、房々とした尾を振り動かし、鼻面をアマリリスのローブの脇に差し入れてきた。
ちょっと、どこ嗅いでんのよww
もう3日もこうして拘束されているわけだが、その動きには変わらぬ機敏さと力強さを感じる。
サンスポットも、きっとアフロジオンや他の3頭も、見た目通りに憔悴して精根尽き果ててるわけじゃない。
不遇の身を嘆いて落胆するのでも、無駄に暴れて体力を消耗するのでもなく、じっと、いつ巡ってくるかわからない解放の時を待っているんだ。
やがて雨が上がり、
「やぁ、
朝からあちこち連れ回して、ご苦労だったね。」
そう言ってローブを脱ぎ捨て、草の上にごろりと横になった。
アマリリスは立ち上がり、
布地が肩から滑り落ち、アマリリスの足元に黒い輪を描いて広がっていった。
素肌をなぞるアマロックの視線に息が詰まりそうだったが、アマリリスは意識してゆっくりとオオカミの毛皮を拾い上げ、その視線を遮って身につけた。
なるべく自然な動作で、アマロックに近づいていって、ぴたりと身体を寄せて横たわった。
アマロックはしばらく黙っていたが、やがて魔物の腕でアマリリスの身体を引き寄せ、
濡れたようなみどりの瞳で見上げるアマリリスに、顔を近づけてきた。
アマリリスはその唇にそっと指を当てた。
アマロックが不思議そうに、少し身を引いた。
それを追いかけるように、アマリリスにとっては愛おしくてならない相手を抱き寄せ、耳元に囁きかけた。
その声はためらいがちで、少し震えていた。
「キス、、してもいいわ。
でも、一つだけ聞いてほしいことがあるの。」
「ほう。
父の名にかけて誓え、的なことを?」
アマロックに困惑の様子はなく、単純に意外そうに尋ねた。
確かに、こんなことをアマリリスが言い出したことはなかった。
アマリリスは小さく首を振った。
「何にも誓わなくていい。
約束も、してくれなくていいの。
だから、あたしからの、ただのお願いよ。」
「ふむ。
俄然興味が出てきた。
いいとも
おれに出来ることであれば、何なりと願いを叶えよう。」
「あの子――ファべ子を助けてあげて。
あの子が苦しむのを見たくない。
そのためになら、あたしはどうなっても構わないから。」
アマリリスの悲痛な願いを聞いて、アマロックは思案しているようだった。
何も感情も思考も読み取れない沈黙と、揺るぎのない金色の瞳がアマリリスは怖かった。
「こういうのを何て言うんだっけ。
死亡フラグ?」
「・・・は?
なんて??」
「人間が何かに強い願いをかけると、
それが災いの目印になって、死神が命を刈りにくる。
そういうのを、死亡フラグと言うそうだよ。
知らない?」
「いや知らんし。
っていうか、あたし真面目に話してんだけど。」
「フラグを外すには、真面目な願いを茶化してなかったことにしてしまうか、
あえてフラグが立ったことを宣言して、フラグを折りに行くか、だそうだ。
おれが今やっているのは後者かな。」
・・・もしかして、
「あたしを、慰めてくれてる、、わけ?」
「慰めるべきか、ふざけるべきか、おちょくるべきか、これは賭けだったんだが。
ちなみに正解でよかったのかね。」
アマリリスは吹き出して、涙の滲んできた目頭をアマロックの肩に押し当てた。
ダメだもう、フラグ折られた上に茶化されてしまった。
でもアマロックは、あたしの願いを叶えてくれると言っていた。
魔族の言うことだし、気まぐれ次第でどうなるかわからないけれど、それが叶えば言うことない。
睫毛に涙の雫が光る瞳で、今はまっすぐにアマロックの金色の瞳を見つめながら思った。
でも、この場合フラグは誰に立ったんだろう、と。
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