第459話 ファべ子の”声”

生きたガーゴイルが見張る、尖塔の林を縫って続く白亜の大階段を、

マフタル、ファべ子、アマリリスの3人は無言で下っていった。


茫然自失の体のファべ子が、段差にけつまづいて転び、両膝をついてうずくまる。

アマリリスとマフタルは驚いて駆け寄り、アマリリスはファべ子の肩に手を添えようとした。

その手を、ファべ子が払い除ける。


はたかれた手以上に、胸がずきんと痛んだ。

こちらの善意に対する心ない仕打ちへの悲しみ、怒り。

何も知らない幸福な時代のアマリリスだったら、完全に腹を立てて相手を蹴飛ばしていたかも知れない。


もちろんそんなことはせず、かといって宙に浮いた手をどこに収めたものか、

苦しむファべ子に対して、文字通り「何と言って」慰めたものか手立てが見つからなかった。

――あの時はまだしも、言葉が通じたけれど。。

巻き毛のヒルプシムが自分の肩越しにこの状況を見ていて、やはり途方に暮れているような気がした。


”ファべ子”の名で呼ばれても、彼女はファーベルではないし、

かつて似たような状況があったとはいえ、ヒルプシムでもない。

キリエラ人の少女は、キッと顔を上げた。

眉間に一層深い皺を刻んだハの字眉に、引き攣れたように歪んで震えている唇、しかし彼女は泣いてはいなかった。


やがてトヌペカは、熱に浮かされたように震えて歯の根が合わないのを、食いしばってこらえ、

猛然とその両手を振り動かしはじめた。



しばらく、ヒルプシムの霊と顔を見合わせて困惑を共有しているような気分でいたのち、

唐突に降ってきたその感覚に、アマリリスは愕然とした。


わかる、、ファべ子の”声”が。

怒り、悲しみ、抗議、懇願、、、

何を言っているかは全くわからないのに、その心の形ははっきりと伝わってくる。


思えば人間同士はそういうものだった。

アマロックの言うとおりだ、

長い間、ラフレシア語しか使わず、会話をする相手もごく少数なので忘れていた。


タマリスク語が分からなくても、ラフレシア語が話せなくても、人間同士なら心が通じ合う。

語彙や文法を覚える必要もない、同族の心を理解することを可能にする何かを、人間は生まれながらにしてその内に持っているのだ。

手話でも、音声の会話でも、それは何も変わらないということだ。


ファべ子を前にして、あたしが泣き出していいんだろうか??

戸惑う心も、涙がこぼれ落ちるのを押し留めることはできなかった。

そしてひとたび溢れると、あとからあとからこみ上げてきて、あたしは一体何に泣いているんだろうと思っても止むことがなかった。


ファべ子も同じ感想を持ったのかも知れない。

ハの字眉をひそめたまま、いくらか毒気を抜かれたようにアマリリスを見つめてから、

踵を返して大階段を一人で下っていった。


感情のたかぶりに疲れ切ったようなところでようやく嗚咽はおさまり、

まだ涙で滲む視界に、アマリリスは遠ざかっていくファベ子を見送っていた。


心が通じても、言葉が通じないことには理解できないこともある。

ファべ子はあたしに何を伝えたかったのだろう。

言葉が通じないのに、ファべ子はそれが分かっていながらなぜあんなに必死になってあたしに訴えかけてきたのだろう、

と、ぼんやりと考えていた。

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