第457話 落剥#2:谷地の魔神の謡

トヌペカのユクがよく記憶しているのは、その丸い包みをほどく時の自分の指の動き、重く、それでいて存外滑らかな動作だった。

中から現れたのは――、薄茶色の獣の毛皮。


「一昨日、第7堡塁の近くで拾ったらしくてね。

おたくはんの落とし物やも知れん、と思って持ってきてくれたそうだ。」


・・・そんなこと言ってた??

怪訝の目を異能王に向けているアマリリスには気づかず、

見事に装った鉄面皮の下で、ユクの思考は高速回転していた。


テイネ[仮]のことを黙っていた黒葛連ウパシクルが、形代返してよこした?


魔族の考えることは人間には理解できないから、そういうこともあり得るという考え方もある。

しかし一方で、万象に普遍の経験則として、より少ない仮説で状況を説明できる推定のほうが往々にして正しい。

この場合で言えば、”黒葛連ウパシクルから”という部分が虚偽であるという考え。

この形代はニセモノだ。


異能王がどういうつもりで、そんなあからさまなウソを言うのかは知らないが、

ニセモノであると、変身の形代にはならないことを実演して見せればそれで終わりだ。

無論、本物であれニセモノであれ、”この”テイネ[仮]が変身することはできないが、

白拍子シパシクルや異能王に、この毛皮の真贋を鑑定することも出来ないのだから ――


テイネ[仮]に渡そうとして、ユクの手ははたと止まった。


「確か」


アマロックの言葉は、静寂の中に落ちる水の滴りのようにユクの耳には響いた。


「キリエラが変身するには、決まった作法があるらしいな。

一人ひとり、自分の流儀の型を持っているとか。」


そう言って、アマロックは壁際の兵長に振り向いた。

一昨日、トヌペカたちが偵察に出発する際、ユキヒツジに変身するところを見ていた兵長は、同意の印に頷いた。


ユクはこれといった予備動作なしに変身できる。

トヌペカは、形代をしっかりと胸に抱き、庇護獣の霊に念じかける。

の場合は――


「どうした、忘れてしまったか?

ゴスポージャ、あなた方の言葉で構わないから、教えてやったらどうだ。」


マフタルが喋ったのか――いや。

顔を見ればひと目でわかる、コイツではない。

異能王はどうして、いつから気づいていたのか。。。。。


この場を切り抜ける手がかりを求めて、ユクは記憶の糸を手繰った。

しかし、その糸は根こそぎ手元で切れてしまったかのように、何も引き寄せてこなかった。


思えば、楽天的に過ぎたのかも知れない。

あるいは、魔族に蠱惑されるヤナギランの娘を憐れみながら、結局自分もその術中に落ちていたのか。


諦念の眼差しで、テイネ[仮]を見つめた。

相変わらず屈託のない様子で見返してくる相手に、場違いにも、いじらしいと感じたのは初めてかも知れない。

状況を察知した白拍子シパシクルの兵士がにじり寄ってくる。

テイネ[仮]は健気にも、祈りを捧げるような仕草で両手を持ち上げ、トヌペカに仕込まれた「芸」を披露した。


””私たちの沼の水まで日照りで干上がり

私たちは乾きに苦しんで泣いていました


涙が溢れそうになった。


””そこへ神様のように美しく気高い娘が通り 

私たちを憐れんで言いました

’まあかわいそうに ・・・


「悪くない。」


アマロックが鷹揚に頷いた。


「もっとも、こちらのほうがこの場にはふさわしいと思うがね。」


そう言ってから、異能王は


””泥の中から飛び出した.私が飛び上ると

地が裂け地が破れる.牙を

鳴らしながら,彼等を強く追っかけた *


途絶えていた糸が唐突にすべて繋がった。

ユクは思わず、鞘口を握りしめていた長刀の柄に手をかけた―――



* 引用:知里幸惠編訳「アイヌ神謡集」より

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