第451話 赤の女王の宣託#3

”こんなことなら”


アマリリスはすがるような思いで、今はもう自分のほうを見てもいない、アマロックの横顔を見つめた。

結局、アマロックの言う「切り札の出し惜しみ」ということになるのだろうか。

しかし仮に昨夜アマロックに、身体だけ抱かれていたところで、そんなことで魔族にとって、あたしの価値が上がるとは思えない。

心臓が嫌な感じでどきんどきんと鳴っている。

もはや命運は尽きたと思えた。


ところが、

アマロックの右手、赤黒い外骨格に覆われ、禍々しい爪を隠しもしない魔物の手はおもむろに伸びてきて、膝の上で拳を握りしめていたアマリリスの手を取った。

その甲に開いた、瞬きをすることのない大きな目がただじっと彼女を見上げていた。

おぞましい造形であり、何を映すこともないその瞳が、今のアマリリスには不思議なくらいのやすらぎとして感じられた。


アマリリスが落ち着きを取り戻したところで、アマロックが口を開いた。


「魅力的な提案だが、じつはうちのお姫さまはあの緑の箱庭スイートルームでのスローライフを気に入っていてね。

今さらあそこを出て悪役令嬢ポジションに収まりたがるかどうか。

少し検討させてもらってもいいか?」


「にょほっ。お熱いこって」


ササユキ女王は本当に茶飲み話でもしていたかのような調子で吹き出し、チャイをこぼしそうになった。


「構わんよ。

スローライフならこちらが先達だ、急いではいない。

なんなら、スイートルームとまではいかないが、もう少し風通しのいい部屋に移るかね?

ふっ、二人っきりで、専用のバスルームつきダブルのマウンテンビューの部屋なんてどうだいっ!? ひゅーひゅーー」


「ありがたく、気持ちだけ受け取っておくよ。」


「あぁーん? なんだいなんだい、ノリの悪い。

ったく、つまんない男だナ、、ってまぁいいや、じゃこの件は保留ね。

ちょっと一方的に喋りすぎたな、そっちから条件があるなら伺おうじゃないか。」


「ああ。

これを聞き入れるなら、本題――赤の女王からの伝言を伝えよう。」


そこから先の、アマロックとササユキ女王の会話を、アマリリスをほとんど聞いていなかった。

これが現実だと信じることが怖いような感覚に心が満たされて窒息しそうで、

目に映る光、耳に入ってくる音、何もかもが散乱したように、像や意味を結ばなかった。


やがてアマロックに促されて席を立ち、再び女王の先導でサロンを出る頃になってようやく我に返った。

飴色のホールへ戻る廊下を辿りながら、アマリリスはアマロックの右腕を取り、自分の体を押しつけるようにして腕を組んだ。

アマロックが不思議そうにこちらを見ていた。

アマリリスは黙って首を振った。


実際のところは、アマロックにはなにか考えがあって、あるいは単純な気まぐれで結論を先延ばしにし、

その間に――おそらくこの高地が雪に閉ざされるまでの間に――より有益なチャンスを探る、ただそれだけなのかもしれない。

それでもアマリリスは驚いていた。

正真正銘、理解不能の怪物であるアマロックが、狩りの役にも立たないあたしを、この大城砦の王座と天秤にかけるような存在だと認めてくれている、、、そう信じていいの?


今夜、同じ問いかけをされたら、ちゃんと返事をしようとアマリリスは思った。

あたしが信じようが信じまいが、いずれアマロックはあたしを殺すつもりなのかもしれない。

その時は仕方がない、それなら今はこのときの記憶、アマロックの世界で共に生きているあかしがほしかった。

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