第432話 異能王の帰還#3

”いかに示現されるおつもりか”


アマロックはすぐに答えを与えようとせず、おもむろに脇のほうを見下ろした。


さっきからアマリリスは、アマロックの長口上の間に届いたボウルを、持ってきたベラキュリアに捧げ持たせ、湯に浸した布で、血まみれのアマロックの体を拭ってやっていた。

肩や背はあらかた拭いおわり、今は首筋から胸にかけてを拭いているところだった。

アマロックとベラキュリアの会話を邪魔するわけにもいかないので、石柱の台座に腰掛けたアマロックの傍らに膝立ちになって腕を回し、その身体を抱えるような格好になっていた。


汚れが落ちるにつれて現れたアマロックの素肌には、いずれも軽いものとはいえ、多くの打撲や擦り傷があり、それを見つけるたびに、アマリリスは涙が溢れそうになった。

感情の昂りからか、湯を扱う力仕事のせいか、アマリリスの頬はうっすらと紅潮し、アマロックの、鋼索を捩りあげたような腕や胴に触れるたび、対照的に柔らかく滑らかな彼女の肌にもあかみが走るようだった。


右腰のあたりにまた傷をみつけ、指先でそっと触れながら様子を見ていたら、アマロックがこっちを見下ろしているのに気づき、視線を上げると、いつもキスをする時ぐらいの至近距離で目が合った。

アマロックはしばらく見つめ合ってからにやりと笑い、


「そこは、もうちょっと優しく。」


アマリリスは今やはっきりと赤面し、おもむろに立ち上がると、アマロックの膝に拭い布を投げつけた。


「そこを含めて、あとは自分でやって。」


見回すと、マフタルは首をすくめるようにうつむいて目が泳ぎ、刺青の女は腕組みして、うんざりした様子の目線を上段から投げつけてきていた。

ベラキュリアの兵長が、ただ先を促すために咳払いをし、アマロックはようやく本題の方に戻った。


「『和平を強制する状況』を用意するのは、『通常、非現実な困難を伴う』。

そして、赤の女王だけがそれを可能にする。

むしろ彼女は、そして彼女の異能は、おまえたちの長手の代役などではなく、おまえたちヴァルキュリアに和平をもたらすことに意義があるものだ。」


『赤の女王』のキーワードに、場は静まり返った。

ややあってようやく、ベラキュリア兵長が口を開いた。


「――すなわち、貴殿の提示せし例の、そして最後の条件が満たされない限り、この件はこれ以上話すつもりがないということであろうか。」


アマリリスが投げ出した仕事を自分で片付け、アマロックはこざっぱりした風で、血に汚れた布を兵士が捧げ持つボウルに投げ込みながら答えた。


「そう邪険にするつもりもないが、最終的に和平を締結するには例の条件が不可欠だ。

差し出がましいようだが、和平の相手方であるチェルナリアにも同じことを提案しておいたよ。

先ほど、堡塁から退去いただいた時にな。

先方としても、前向きに検討したいとのことだ。」


ベラキュリアのコマンドであるアマロックが、自分たちの預かり知らぬところで仇敵とそのような取引を行っていたというのは、彼女たちにとって決して愉快な話ではない。

しかしその時点でベラキュリアにはアマロックの行動をコントロールする術がなかったわけで、異族であるアマロックの振る舞いを今さらただしたところで得るものはななかった。


一方で本日の戦闘における異能王の貢献は明らかであり、大きな損害は出しつつも、苦境を覆して勝利を収め、

何より、監視役の自爆兵の轡から解き放たれても、こうして任務を全うして戻ってきたのだ。

「貴君」から「貴殿」への格上げに留まらず、その忠義に報いることは、ベラキュリアとしてもやぶさかではなかった。


「私/我々としても真摯に検討せんとす。

貴殿の多大なる功績に感謝し、追加の条件を提示したいと思う。

今後、貴殿の出征に関しては、自爆兵による監視は廃止とする。

これは私/我々から貴殿への信頼の印である。

加えて、貴殿の支配するオオカミを2頭まで、戦場に帯同することを許可する。

これは貴殿の更なる活躍への、私/我々の期待の表明である。」


待遇改善の2点目はつまり、アマロックが逃走して、無事に幻力マーヤーの森に辿り着くのに必要な、彼を含めて4頭に達しない範囲で、ということだ。

むろん、アマロックに異論はなく、鷹揚にうなづいた。

解散が告げられ、ベラキュリアは持ち場へ、逗留者たちは居室へと引き上げていった。

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