第426話 羽化階層#3

強化促成装置のインパクトにとらわれてはじめ気づかなかったが、その室の片側の壁には、例の網樹が作った石の檻がはまっていた。

鶏小屋を覗くような、暗い石牢の奥でうずくまっていた何者かが、アマリリスたちの存在に気づいて、立ち上がってこちらに向かってくる。

誰?と思って目を凝らしたアマリリスの視界を、広い背中で塞ぐようにして、刺青の女がゆっくりと石の檻に近づいていった。


しばらく様子を見ていて、ようやく事情を理解したアマリリスは息を呑んだ。

女のそれとよく似た刺青を施した腕が、網目状の檻の穴から突き出され、手を振り動かしてしきりに女に何かを訴えかけていた。


その腕は鳥の肢のようにやせ衰え、檻ごしに見えた顔には深い皺が刻まれ、しぼんだ目には涙が光っている。

正確な年齢はわからないが、刺青の女がさらに歳月を重ね、体力も気力も失い、死の救いを待つばかりの老婆と成り果てたような姿がそこにはあった。

石牢の内部は外から見た印象以上の広さがあり、他にもまだ何人かが、よどんだ視線をこちらに向けているようだった。


刺青の女とその同族を覆う悲哀をしばらく眺めてから、アマリリスはギュッと拳を握りしめ、促成装置の操作をしている兵士に向かっていった。




テイネの実母の恨みがましい懇願を、トヌペカの母は苦労して引き出している遺憾と同情の態で聴き入れていた。

年齢は、実際は彼女とさほど違わない年長である。

しかしテイネの母も、他の3名も、群族を襲った災厄にすっかり尾羽おは打ち枯らし、誰かに救済の希望を託さないことには息をするのもままならないといった様子だった。


―― 否、 実際には、火の山の災厄のずっと以前から。

苛酷な異界の絶え間ない労苦、数え切れない小石を積み上げてようやく身の丈に足る塚を築くように、

綻びに綻びを重ねる衣服を延々と繕い続けるように、今ある生活を護ることだけ続けてきた群族は、

その生活が完膚無きまで破壊された時、自ら立ち上がり、断崖を跳躍する活力は失っていたのかも知れない。

天険の覇者、ユキヒツジを庇護獣に持ちながら。


これが老いというものなのだろうか、トヌペカの母はその身にのしかかってきた虚脱感に苛まれながら思った。

彼女自身のみならず、群族そのものの老いだった。

我が身を襲う苦悩に耐えきれず、ひたすら手をすり合わせて涙し、けれどそれをかえりみるカメェがいないということはもう分かっているから、目についた誰かしらにすがり救済を得ようとする。

無理もない、我々は魔族ではなく人間なのだ。

救済の望みがなければ生きて行けず、異界の要求する無慈悲に耐えられないのだとすれば、人間はやはり異界にいてはいけないのかもしれない。


これに類した考えは目新しいものではなく、彼女は立場が要求する所作と、群族に思う忸怩じくじに引き裂かれ、族長としての自分の資質に懐疑を抱き続けてきた。

そして今は、ここ数日の疲労が蓄積した頭で、相変わらず落涙するテイネの母を眺めながら、トヌペカが危機に陥った時に自分はこのように心配してやれるだろうか?と考えていた。


背後の騒々しさで我に返ると、

赤の姫君の娘が数名の白拍子シパシクル兵士に取り囲まれ、言い合いになっている ―― 否、娘が一人で騒ぎ立てている。

やれやれ、どうしてこう行く先々で面倒を起こすのかしらねぇ。

トヌペカの母、ユキヒツジの群族長はもう一つの役割、白拍子シパシクルのコマンドの顔に戻って、そちらに近づいていった。

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