第418話 ヤナギランの娘

ヤナギランの娘が、みどりの瞳の強い光を時折震わせながら何か言っている。

トヌペカの母は、同族以外と接するときの風儀にしている、冷ややかな態度で応じているつもりだった。

しかし、皮帯の中に無造作に突っ込んだ手は、不随意にあらぬことを喋りだすかのように、所在を定めあぐねていた。


助け合わないトゥスクゥワワナヒ?」


流暢な共通語レプンイタクではあるが、耳慣れない癖・イントネーションがあって、

あの異能の人狼ヴルダラクや古代獣の小僧より、独特の言葉遣いの白拍子シパシクルと比べても聞き取りづらい。


あなただってワナトゥドッ こんなトコカナトゥク出たいでしょジトゥウディシ

ファべ子ファべ子助けたいでしょトゥスクェワイディシ?」


何かをけしかけている、あるいは持ちかけているのか。

ファべ子・・・って誰だ??


「この城砦から出られる抜け穴を探すの、手伝ってくれない?

で・ぐ・ち、でられるとこ、外!

ねぇ、言葉通じてるかな?」


外に出たいと、脱走したいと言っている。

それをこともあろうにこの自分に協力しろと言うのか。

やはりと言うべきかな、愚かな娘だ。

仮にトヌペカの母にその気があったとしても、白拍子シパシクルの城砦に、監視されていない場所なんてどこにもない。

うっかり重要区域に近づいて即処分、ということにもなりかねない。


あの異能者も変に甘やかしたりせず、緑の箱庭に閉じ込めておいたほうが彼女の身のためだったのではないかと思うが、

まあ、白拍子ウパシクルからの本日の指令、この娘を注意深く観察し、あわよくば赤の女王の能力の秘密を解き明かすべしという目的のためには、

じっとしていられるよりも動き回ってもらったほうが、まだしも望みがあるというものだ。


トヌペカの母が同意の印に頷くと、娘の顔一面に、大輪の花が開くような笑みが広がった。

愚かだが、美しい娘だという点にはトヌペカの母としても異論はなかった。


「抜け道探すとしたら城砦の下の方だよね、ってマフタルとは話してたんだけど、、

おばさんどっかいい場所知らない?」


話してた、ってお前が勝手に突っ走ってるだけだろう。

清々しいほど躊躇なく人をおばさん呼ばわりの上、いきなり丸投げか。

あきれて怒る気にもなれず、トヌペカの母はついてこいと合図して、適当に歩き始めた。


赤の女王の能力、羅刹パヨカスンテを操る能力を検分するわけだから、羅刹パヨカスンテの格納庫にでも連れていけばよいだろうか?

しかしいきなり能力を開花させ、あの初日の異能者並みの大暴れをされても困る。

白拍子ウパシクルもまさにその点に苦慮しており、ましてあの異能者にあとで報告されて困るような手荒な真似や、強引な尋問をするわけにもゆかず、腫れ物に触る役を丸投げしてきたというわけだ。


不本意極まりない役目とはいえ引き受けた以上は善処するのが女の信条だったが、

その正体が皆目わからない、しかも本人が所持していることすら知らない能力を一体どうやって検分すればいいのやら・・・


そこで気づいた違和感に、トヌペカの母は不意に足を止め、アマリリスとマフタルが順番に背中にぶつかってきた。


「痛ったい!

あ、さらに痛って!こらマフタル、ちゃんと前見て歩けよっ!

そしておばさん、いきなり止まらないでよどしたの??」


ごめん、でもあんたも大概よね、とひとりごちながら、女は自分と少年に挟まれ、少年の体を乱暴に肘で押しのけている娘を振り返った。


この娘はなぜ自分が持つ異能のことを知らない?


つまり、なぜあの異能者は能力を分与しておきながら、それを彼女に知らせなかった?

単純にそれが人間には理解できない魔族の思考であり、詮索するような意味はない、という考え方も出来るが―――


白拍子ウパシクルからの報告によれば、初日に行われた尋問で異能者が話したことは、大方の予想に反して、今の所虚偽は発見されていない。

この娘は赤の女王の名すら知らなかったのに対し、別に尋問を受けた少年の方は、確かに異能者から娘の保護を依頼されていたこと、赤の女王の能力のことも知らされていたと証言した。

そして(白拍子ウパシクルは知らないが)トヌペカの母自身が図らずもその真偽を検証することになった供述まで、異能者は意外にも真実を語っていたようだ。


しかしそれは、検証されていない部分に虚偽が隠されていないことや、異能者が重要な事実を隠していないことの証明にはならない。


異能者が、赤の女王の能力のことを娘に伏せている理由、それがあるとすればだが、

娘がそれを知ると、なにかしら不都合な事情があるということになる。


糸口が見えた。

異能者が娘に知らせたくない理由、そこに、異能の正体が隠されているに違いない。

うっかりほくそ笑みを漏らしてしまったが、娘には友好の笑顔と伝わったらしく、若干気味悪がられたものの怪しんではいないようだ。

勘の鈍い娘で助かった―――と安堵する一方、女は不意に、悪霊の手に首筋を撫でられたような、故しれぬおぞけに襲われた。

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