第404話 全即個

自ら女戦士ヴァルキュリアと名づけた、この魔族の集団の異様さ、その生態の、異界で見かけるとは思いもよらなかった人間社会との相似に、アマリリスは驚きと同時に懐疑も感じずにはいられなかった。

そこにはまるで、鳥や獣が寄り集まり人間の営みの真似事をするという、悪趣味な戯画を見るような薄気味悪さがあったためだ。

本質的には、ヴァルキュリアも他の魔族と何ら変わるところのない、異界の論理に従って行動する生物に他ならないのだが、彼女たちの異様さを構成するものは、ひとえに、集団とそれを構成する個の関係にあった。



ヴァルキュリアでなくとも、集団で生活する生物は数多くいる。

アマリリスをワタリの旅へといざなったオオカミの群がその一例であり、人間とは全く似通わない剥き出しの野性でありつつ、その行動原理を理解することはたやすい。

おもな獲物である大型動物を狩るため、自己の生存のため、群を構成するオオカミの個々が群を必要としている。

――個体としての表出型の維持ではなく、生体旋律の自己保存が本質であり、予め目的が定まっているわけでもない、とクリプトメリアは釘を差すだろうが、その説明のためにあえて自律的創出論の厳密さを持ち出すまでもない。


群なしではアカシカが穫れず、そうなったら生きていけない。

だから群を維持するために協力もするし、ある程度のリスクまで取って、仲間を助けることもある。


しかしあくまでも、価値の中心は自己の生存であって、群に帰属することはその手段に過ぎない。

もし今、群を作るよりも効率の良い生活の手段が現れたら、オオカミはためらいなくそれを選ぶだろう。

現時点で群の生活を送る、個体としてのオオカミが全て直ちにそうするかは別として、長い目で見れば、自律的創出論の働きにより、否応もなくそう変わっていくことになるだろう。


それはオオカミが非情なわけでも、獣の精神が卑しいからでもない。

そういう、人間特有の世界の見方を、獣や魔族はしないというだけのことだ。


そう考えれば、アマリリスがかつてオオカミの間に連帯感や共感を見出そうとして見つからなかったのも、何も不思議ではないというか、

むしろ、なぜそんなものが見つかると思っていたのかが不思議なくらいの話だった。

オオカミを集団に引き寄せるのは、連帯感でも共感でもなく、例えばくぼ地に落ちた小石をその底に集める物理作用のほうがまだしも近い、淡々とはたらく目には見えない力なのだ。


しかしヴァルキュリアにとって、彼女たちの属する「旅団」は明らかに、そういった生存の手段としての集団ではない。

その存続と繁栄自体が至上の目的であり、所属する個は、そのために進んで協調し、自己犠牲も厭わない。

国家や宗教といった信条に忠誠を誓い、その維持のために殺人や殉死もためらわない人間のように、彼女たちは一見、自律的創出論を作用させる力、異界の論理を外れて生きているように見える。



これには、彼女たちの血縁と、特殊な繁殖システムに大きな理由があった。

一つの旅団を構成するヴァルキュリアは全員が始原女王を祖とする、実質的に両親を同じくする姉妹であり、かつ、親子よりも強い血の絆で結ばれているのだ。


有性生殖を行う一般的な生物であれば、親子と兄弟姉妹の「同調率」、すなわち自己を構成する生体旋律を共有する割合は等しく50%となっている。

子は両親から、それぞれ半分づつの生体旋律を継承し、両親から継承する生体旋律のそれぞれについて、おおよそ50%を兄弟姉妹と共有することになるためだ。


一方でヴァルキュリアの場合、雄性の繁殖個体が作り出す配偶子は全て、”そっくり同じ”生体旋律を娘に提供する。

そのため、親子の間の同調率は他の生物と同じ50%だが、姉妹の間の同調率は、――母親由来の生体旋律の50%、父親由来の生体旋律の100%を共有するために――75%に達することになる。


多くの動物で、親による子の保護・養育行動が見られる。

これは親が、自らの生体旋律の50%を継承する子の生存と、その先にある繁殖に協力することで、自己保存比率を高める効果があるためだ。

同様の論理で、兄弟姉妹の繁殖に協力する行動も自律創出されうる。

親による子の保護よりはずっと実例は少ないものの、たとえばオオカミの群では、自らは生涯繁殖せず、兄弟姉妹の育児に協力する個体も見かけられる。

彼・彼女自身の生体旋律はその表出型と共に消失することになるが、50%を共有する兄弟姉妹の子の形で次代に継承されるなら、その行動を取らせる生体旋律は、競合――そうでない行動を取らせる生体旋律に対抗して勢力を伸ばしうるからだ。


ヴァルキュリアの場合、自身の子の繁殖に協力することによる自己保存比率の利得は、オオカミや他の生物と同じく50%だが、

姉妹の繁殖に協力することの利得は、上記の特殊な生殖システムがあるために、75%と、子の繁殖への協力に比べて25%ぶん”割が良い”投資ということになる。


その結果、実際にヴァルキュリアの旅団に起きたことは、自律創出の力がどれほどの飛躍を現実にもたらすかの好例とも言える。

異界の論理は彼女たちに、兄弟姉妹の育児に一生を費やす叔父叔母のオオカミの道を、さらに極限まで突き詰めた生存戦略を教唆した。

ごく少数の個体に繁殖を一任し専任させる一方、その他の大多数は繁殖能力を放棄し、繁殖個体の繁殖と、その基盤としての旅団の維持運営に注力することだ。


この生存戦略は、自身の子より姉妹の繁殖に投資することで得られる25%分の利得を余すところなく活用するとともに、旅団を構成する個の間に高度な分業を担わせる道をひらいた。

兄弟姉妹の育児に協力するオオカミであれば、それに一生を費やす選択肢の一方で、自ら繁殖することも依然として可能である。

しかしヴァルキュリアの場合、兵卒や狂戦士バーサーカーといった旅団を構成する大多数は、そう決定づけられた時点で生殖能力を喪失しており、繁殖個体の生殖を通してしか、自己保存を行う道は残されていない。

旅団を構成する個にとって、表出型としての自己は、城砦を構成する石材や、そこに蓄えられた食料と同じく、効率や損益分岐を勘案しつつ投資し、消耗される資源の一つに過ぎなくなった。


つまり彼女たちにとって、もはや表出型としての生き死には問題ではなく、旅団として保持する旋律が維持されてゆくことだけが重要なのだ。

だから兵士も生産者も、命を失うこと自体を何も躊躇はしない。

彼女たちが自分や仲間を守るとしたら、それは彼女たちが共有する生体旋律が、戦闘装置、生産装置として投資した生存資源の利用効率を高めるためであり、ほかの生物のように、それが代替のない自己保存手段だからではない。


ヴァルキュリアであれそれ以外であれ、生物の振る舞いはその表出型ではなく、生体旋律の保存に投資しているという趣意に本来的な違いはない。

しかし、多くの生物では、生体旋律の自己保存手段の多くが、その旋律を保持する表出型自身の繁殖であり、自律創出の力学は表出型の繁殖と、その前提となる表出型の生存を優先する方向に働くのに対し、

ヴァルキュリアが特殊なのは、彼女たちの生体旋律にとっての価値は、それが収まっている表出型を離れた、旅団の重心にあることだった。



もちろん、ヴァルキュリアの同調率など知るはずもないアマリリスが、このような理屈を理解していたわけではない。

しかし直感的に、この城砦に満ちる呪力のようなものが彼女たちを従わせ、死をも厭わない異様な協調に導いていることは感じ取っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る