第388話 地底の落葉

透光地下茎植物リトープスの明りににぶく輝く銀色の毛並み。

石畳の床を捕える鉤爪、微動だにもしない尾、表情のない琥珀色の瞳。

間違いない。これは、「あたしの」オオカミだ。

握りしめた拳の内側に汗があふれた。


自己像幻視、もう一人の自分の姿を見てしまった者には、間もなく死が訪れるという。

バカバカしい迷信――けれどこの時アマリリスは、その恐怖を払いのけることがなかなか出来なかった。

ようやく冷静さを取り戻せたのは、「あたしは」オオカミじゃない、ということを思い出したからだった。

ずっと止めすぎて苦しくなった息を、アマリリスは咳き込むようにして吐き出した。


それを待っていたかのように、なおも肩で息をするアマリリスの視線の先で、

彼女のオオカミの瞳から光が消え、銀色の毛並みが生気を失ってしおれ、ただの毛皮に戻った。



床に両手を突いて蹲った姿勢から、魔族は滑らかに身を起こし、肩からずり落ちていった毛皮を、左腕を後ろ向きに回すようにして空中で捕らえた。

アマリリスの前から姿を消した時と同じ、しかし透光地下茎植物リトープスの照明の具合か、いっそう遠い隔たりをも感じる金色の瞳で、アマロックは彼女を見つめた。


――もう、すっかり言葉も通じなくなっていて、それどころかあたしのことも分からなくなっているのかも。

そんな考えが、冷え冷えとした絶望となってアマリリスの胸を刺す。

しかし、


「迎えに来たよ、バーリシュナお姫さま

遅くなったね。」


「・・・・・」


あまりにも気負いもてらいもない言葉に、まだ過呼吸気味だったアマリリスの息も、悲しげなため息のようになって静まっていった。


このやろう・・・・

ぶん殴ってやろうか。


確かにそう思ったはずなのに、その怒りは湿った炭を炙る炎のように熱にも勢いにも欠け、

自分でもどうしてそうなったかわからないうちに、アマリリスは駆け出し、アマロックの首に抱きついていた。


「おいおいどうした、いつからそんな甘えん坊になったんだっけ。」


アマリリスの行動は魔族にとっても予想外だったらしく、アマロックには珍しい動揺、あるいは単に好奇心からだったのか、

彼女の表情を覗き込む仕草で、アマリリスの身体を顔の見える距離まで引き離そうとした。

しかしそれを察知したアマリリスはいっそう頑なに、自分の表情を見られまいとするかのようにアマロックの胸に顔を埋め、

諦めたアマロックが苦笑いと共にアマリリスの背に腕を回して抱き寄せ、優しく髪を撫でてやるとようやく、腕に込めた力を弛めた。


それでもなお明らかな躊躇と、かすかな苦悩さえたたえて見上げるみどりの瞳を、言葉を声に出すかわりに、その隙間に挟み込んだように薄く開いた唇を、

魔族はしげしげと眺め、何も言わずにゆっくりと優しく、唇を重ねてきた。



アマリリスが身につけていた、深く鮮やかな緑のチュニックやレギンズが、枯れ葉色にしおれ、ぱらぱらと剥がれ落ちていった。

アマリリスははっとなってそれを抱きとめようとしたが、もはや、年月が経って風化の進んだ落ち葉のように、粉々になってしまう。

あとには、襟を縁取っていた、赤い光沢をした粒子の連なりが、首飾りチョーカーのようになって残っただけだった。


羞恥よりも心痛に打ちのめされた様子で立ち尽くすアマリリスの裸身を、馴染みのある頼もしい暖かさが包んだ。

アマロックが、銀のオオカミの毛皮をアマリリスの肩に掛けてくれたのだった。


「大事にするといい。君には、もうしばらく必要だ。」


「うん・・・」

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