第369話 彼の女の感覚

日が昇り、薄れゆく朝霧の向こうから金色の光が広大な野を照らしていた。

草木の葉が風にそよぐばかりの単調なツンドラの風景の中、

音もなく進む黒い影は、やはりその巨体ゆえに目につかないわけにはゆかなかった。


相対的にほとんど存在感を消し去り、巨獣の姿が草葉の先に見え隠れするくらいの距離を置いてついてゆく、一群れの獣の姿があった。


先頭をゆく銀の雌オオカミの脳裏では、彼女が姿を得る直前、別の生物だった時間帯の思考の残滓ざんし、言うなれば前生の声のこだまが反響していた。


”(ココを脱出して)どこに行くの”


少し間があって、


”あっち”


今は彼女の前をゆく巨獣となっている、後趾で立つ獣が示した方角は、偶然にも彼女を呼び寄せる地、故郷の海岸の森の方角と一致していた。

それを聞いたときの彼女――現時点とは異なる生体旋律で構成されていた「彼の女」が示したのは、

オオカミの身体で近しい感覚をあえて探すなら、激しい苦痛と憤慨が一体になったようなもの、結局今の彼女には理解不能な考えだった。


それでいながら、「彼の女」はその身体を明け渡し、雌オオカミの彼女が一歩ごとに自信を持って前に進む今も、それを取り戻そうと主張してくることはなかった。

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