Pi-HaHiroth
第366話 大高度差地形間通信
渦巻く深い闇の底、黒々と横たわる稜線の先、漆黒の海に続く岬へと、彼女は降下していった。
蟹の爪の輪郭をした台地の又にぽつりと一つ、オレンジ色の灯りを点す建物があった。
小さな窓の奥には、少年と少女が向かい合ってテーブルにつき、暖かな飲み物の入ったマグカップを手に談笑している。
彼女は一度、建物の上を旋回してから、方角を変え、樹々の茂る浜へと舞い降りた。
そこもまた深い闇と静寂に支配され、ひときわ高くそびえるトネリコの梢は見分けられず、その根元に立つ、黒いカササギの羽の衣に身を包んだ女は、
透き通るように白い顔や手首だけが、闇の
女は、何かを授け渡そうとするかのように、彼女に向かって左手を差し上げた。
彼女は首をかがめ、口先でそっと、その冷たい掌に触れた。
それが済むと彼女はその巨大な翼を翻し、竜巻のような気流と共に舞い上がった。
闇に横たわる巨獣の背のような尾根を、聳える岩峰を飛び越え、再び、上下の区別もままならない闇の奔流を突き進む。
ほとんど垂直に飛翔する彼女を追い上げるように、暗灰色の絶壁が迫ってきた。
下界と、それを越えたところにある地形を隔てる、何キロあるとも知れない落差をものともせず、彼女はどんどん高度を上げてゆく。
絶壁が尽きるとともに、星の光が差した。
彼女の飛翔は羽ばたきから滑空へと推移し、広大な平原の上をひとり飛んでいった。
地上には点々と赤い火が灯り、そこに人影が集まっていた。
あるところでは激しく争い、敵味方の区別もなく殺し合っていた。
またあるところでは、火を囲んでじっと座り込んでいたが、その足元にはバラバラになった死体がいくつも転がり、それを貪り食っているらしかった。
目を凝らすと、
地上の炎に赤く照らし出された空に、黒い
近くまで来ると、それは円錐型の巨大な岩の塊で、天から見えない糸で吊るされているかのように、静かに空中に浮かんでいるのだった。
岩から地上へは、一本の長い梯子が絹糸のように垂れ下がり、地表を歩いてきた人々は、その梯子を伝って空中の岩へと吸い込まれていった。
そういう円錐の岩が、いくつも空に浮かんでいた。
やがて地上の数ヶ所に、篝火とは違う、赤紫のまばゆい光が灯り、
天を切り裂く鋭い光の筋となって、一隻の岩の底面へと収束していった。
滝を裂く岩棚のように、円錐の岩はしばらくの間、ほとばしる光の奔流に抵抗していたが、やがてその圧力に押されてゆっくりと動き始めた。
最初の僅かな速度は、絶え間なく照射される光の膨大なエネルギーによって高められ、やがて円錐の岩は回転しながら天を射る弾丸となって上昇してゆく。
その間も地上から照射される光線は岩に速度を与え続け、最後の瞬間には途方もない速さで遠ざかる一閃の瞬きとなって夜空に消えていった。
これではっきりしたが、彼女はこの星の遠い未来の光景を見ているのだった。
世界を覆い尽くす戦争か、この星そのものがダメになってしまったのか、或いはその両方か。
人間のほとんどは気が狂い、わずかに残ったまともな判断の出来る人たちは、この星を捨て、あの岩の舟に乗って別の星に逃れようとしているのだった。
それは胸が張り裂けるような光景だった。
アマリリスは疲れ切った翼を大きく羽ばたき、速度を上げて飛びながら、すがるような思いで地表に目を凝らした。
こんな悲しいことってあるだろうか。
絶対にどこかに残っているはず、この星の未来をやり直せる場所、
人々を罪や憎しみ、あらゆる苦しみから解放し、私たちの魂を救ってくれるところ。
それがどれだけ遠く、この世界の外側に行かなければならないような場所でも、
この星を見限って、空をこえて消えていってしまうのはちがう―――
やがて平坦だった地表の先に、険しい山岳が現れた。
その尾根に、探していた姿を見つけた気がして、アマリリスは歓喜とともに翼に込める力を強めた。
しかしいくら懸命に羽ばたいても、その尾根との距離は一向に縮まらず、そこに見たものも、求めるものとは違っていたように思えてくるのだった。
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