第361話 古代犀由緒記#4
古代サイの骸に最初に根を下ろした魔族を含め、群体を構成する魔族や、住みついた種々の生物は、元来の生態系の中位消費階層に属する、
したがって、食物をはじめ生存資源の確保にはあまり苦労しないが、天敵となる他生物が存在し、その脅威が自己保存比率を下げる主な要因となっている者が多かった。
彼らにとって、この旧世界の巨獣は天敵の脅威を払拭してくれる鉄壁の移動要塞であり、それが維持され、円滑に運営されることは、
彼らの利益と対立しない限り、すなわち協調に対して図る便宜が、享受する利益を上回ることのない限りにおいて価値があった。
そして巨獣の防衛力がもたらす安全は、そのために自己の生存資源からある程度 ――時にはかなり高額の―― 投資をする価値が十分にあった。
それはある一面では、甦ったサイの骸を円滑に機能させるという目的に沿って、整然と運営される組織集団のようにも見えた。
アマリリスの目に映った、異界には場違いなような穏やかな調和はそういう印象を映していた。
その一方でバハールシタが語った
群体が機能することはその手段に過ぎないことを物語っていた。
特殊な環境ではあったが、ここでも、自己保存比率によってのみ評価される異界の論理は粛然と働いていたのである。
羽虫を捕まえたアトリがアマリリスのそばに舞い降りてきて、ごちそうを丸呑みにすると、サイの体にすっと同化して消えていった。
入れ替わりに白と黒のツートンカラーが可愛らしいセキレイが現れ、脇腹に空いた穴から、コウモリが数羽飛び立っていった。
すぐに飛び立つ気にならないのか、サイの背を覆う芝草のような毛の間で、黒い尾羽をしきりに上下に振り動かしながら、獲物を探しているセキレイの姿を、アマリリスは微笑ましく見守っていた。
食べ物にはありつけなかったらしく、セキレイはやがて飛び立ち、アマリリスが見上げる先で、大きな円を描いて舞い始めた。
サイの形の群体にもう一つ特殊なことがあったとすれば、居住者との関係性としては一つの生存環境、
個別の居住者の利害や紛争には関知しない生活の場である群体が、構成員に対して能動的な便宜を図ってくれているように見えることだった。
例えば、群体の空間把握機構、光を利用する視覚の代わりに、高周波音を発生させ聴覚で反響定位を行う能力は、
夜間に行動し、同じく反響定位を用いて虫を狩るコウモリや、一部の鳥にも恩恵をもたらしていた。
本来であれば、彼らは自分で音波を発して獲物の位置を特定するが、これはちょうど闇の中で懐中電灯の光を当てるようなもので、相手に自分の接近を知らせ、位置までも特定されてしまう。
当然、獲物の虫は回避行動をとって逃れようとする。
一方、サイから発せられる音波は、夜闇にあかあかと
広い範囲を音響で照らし出してくれる一方、コウモリや鳥自身からは音波を出していないため、捕食者の接近を獲物に気づかれにくく、
虫に照射される音響を遮ったり、捕食者の体に当たって反射する音響波が虫に向かない角度を選んで接近すれば、虫からは全く“見えない”まま襲うことも出来た。
これは母艦である群体にとっても利益があり、彼らが周囲の虫を食べてくるので、サイ本体とその周囲には、ちょうど蚊帳を張ったように、虫が寄ってこない。
吸血虫がわんさといる湿地帯のようなところでは、これだけでも結構ありがたく、
群体はそれ自身の行動に必要な以上の強度と範囲にわたって高周波音波を発し、駆逐艦隊のために闇を照らしてやっていた。
群体にとっての利益との因果関係がもっとわかりにくい形で差し伸べられる救済もあった。
トガリネズミの大繁殖を抑制するのに一役買ったマムシの姿の魔族は、群体にやってきてからその役割を見つけ出すまで10年以上の間、単にサイの肉に同化し、群体から栄養分だけを貰って眠り続けていた。
斥候として重宝されているキョクアジサシも、当初からそのような契約を前提に群体に加わったのではなく、彼の技能の有用性は、偶然の賜物だった。
方向感覚を失い、確実な死しか見通せなかったアジサシは群体との邂逅によって生命を繋ぎ留め、
そして生きてさえいれば、確率は低いだろうが、同じような障碍を負った同族の異性を招き入れ、自己保存すら可能になるかも知れない。
――そうだとしたら、サイの群体にとどまる限り、アジサシには方向を知る能力が必要なくなるわけで、いずれは生まれつき方向感覚を持たず、サイの群体を生涯の住処とする、アジサシとは別の生き物が創出されるのかも知れない。
トガリネズミも、マムシも、方角を失ったアジサシも、結果的に存在意義を与えられている、
彼らの生存活動が群体の利益に一致したからこそ生き延びることができ、貪欲すぎて他の住人の利益を損なったオコジョなどは葬り去られ省みられることがなかった、
と考えれば、異界の論理が生み出した合理性だと見ることも出来る。
しかしそれは結果であって、かれらがここに生存の場を見出したことの説明にはならない。
群体が、生存に窮した者を助け受け入れる、異界には不似合いな寛容と慈悲を先に示さない限り、現在の関係はあり得なかったはずだ。
他の生存の場であればこんなことはしない。
葉を食い荒らすシカを追い払ってくれるからと言って、オオカミに獲物の居場所を教えたりはしない。
植物の森にはそのようなことは出来ず、動物の群体にはそれが出来る、という説明の仕方もある。
けれどなぜそうしなければならないのか。
誰が死のうが生きようがお構いなしの、厳しい無慈悲が異界の論理ではなかっただろうか。
「僕らは何もしていないよ。。
誰かの意思が働いているとしたら、実り多き網の根の樹かな」
「・・・何て?」
「”実り多き網の根の樹”。
このデカブツの全身に行き渡ってる、流動形質型の魔族だよ。
僕らも、彼女に接続してこのデカブツを動かしたり、外を見れたりしているんだ。
ある程度はこっちの思い通りに形を変えてくれて、
僕らのこの服も、実り多き網の根の樹で作っているんだよ。」
バハールシタは黒い衣の袖を引っ張ってアマリリスの前にかざした。
袖口のあたりがわさわさとほつれ、植物の根というよりはヒトデの管足のような動きでバハールシタの手首を這い、手の甲を覆うグローブの形になった。
「ほかにもハリー、ハリネズミのハリーの寝床のハンモックになってくれたり、
あ、この子の脚もそう。」
側にやってきた小鳥をバハールシタは指し示した。
怪我で折れてしまったのか、
少々不格好ではあるが、あるとないとでは大違いだろう。
アマリリスは瞬きしてバハールシタを見つめた。
「何だっけ、、めぐみ深いあのねのね?」
「実り多き網の根の樹」
「だから長いってば。
その
それはあなたたちの意思で、網樹の意思じゃないじゃん。」
「そりゃそうだよ。
網樹はコケみたいな生き物だから、僕らみたいな意識は持っていないよ。」
どうにも会話が噛み合わない。
同じ群体でも、何があろうと同じ方角に進み続けるだけの
こうして乗っかっていても、古代サイの動作には、複雑な意識の存在を感じる。
けれどそれは、運動を司るマフタルたちの意識だ。
群体に住みついた生き物はどれも生き生きと、個性豊かに暮らしている。
けれど個々の彼らは思い思い好き勝手に生きているのであって、群体の存続に貢献するためにここに居るのではない。
それ以外にこの群体を統括する高度の意思などどこにもないように思えるのに、
調和と慈悲深さが保たれ、意識すら持たない網樹がそれを支えている、とバハールシタが言うのはなぜだろう。
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