第351話 急襲の魔神《デーヴァ》

その時、オシヨロフのオオカミたちは噴火のあった山域の北東、東側の山が迫ってきて、V字の谷になっている場所にいた。


古代の地底から運ばれて降り積もった噴石の丘が、長い年月の間に風雨に削られて消えてしまった後も、

火道となった基部の硬い岩石は侵蝕に耐え、谷の両側に構える壮大な門のようにその形を残している。


そこに、奇妙な動物が立っていた。

ヤギかカモシカの一種だろうか。

トワトワトで見るのは初めてだった。

薄い褐色の毛皮にすらりとした四肢、頭には、古代コルムバリアの異形の神のような、カールした大きな角を戴いている。


オオカミ達が自分に向かってくるのを見届けてから、その動物は谷の奥の方向へと走り出した。

一考するような間があってから、先頭のアマロックが速度を上げ、その動物を追いはじめた。


獲物に狙われた獣は、岩の多い峡谷を、巧みな跳躍で平地を行くがごとく疾走し、

それでも地上を飛ぶ黒い鳥のように追いすがる7頭のオオカミを引き連れて、走り抜けてゆく。


やがてその獣は、周囲を断崖が取り囲み袋小路になっている場所に逃げ込んでいった。

崖ぎわに追い込んだ、と思った所で、ほぼ垂直の岩肌に蹄を突き立て、崖の上へと駆け上がっていった。


オオカミには手も足も出ない岩棚の上から見下ろし、そいつは勝ち誇ったようないななきをあげた。

オオカミの身体の奥深くから突き上げるものが、アマリリスの首筋の毛を逆立たせた。

人間の感情で共通するものを探すなら、それは怒りではなく、恐怖だった。


呼応するかのように、それは風上の方向に現れた。

亜人型の魔族、ワタリの旅の途中で何度か捉えた記憶のある匂い。

明らかな緊張を帯びた、つまりこちらと敵対する意思を持つ。

それが少なくとも3体。一体どこから湧いて――


次の瞬間、強烈な刺激臭を帯びた白い幕に包み込まれた。

噴射機から放たれた硫黄の煙だった。

煙幕の向こうで動く、いくつもの人影が一瞬見えたが、すぐに煙にかき消され、刺激で目を開けていることも難しくなった。


視覚と嗅覚を一度に奪われて、アマリリスは動転した。

それは人間であれば視覚と手触りを失うようなもので、一瞬前にはありありと感じ取れていた世界が、彼女とつながるものは音だけになってしまった。


それでもオオカミの聴覚は懸命に周囲の気配を追い続けていた。

アマリリスと同じように動転し、立ち往生している、アフロジオンやサンスポットたち。

そしてその外側、オオカミたちを袋小路の空間に追い詰める形で取り囲む、多数の気配。


何かがばさりと落ちてきて、アマリリスに被さった。

抜け出そうと暴れるが、余計に四肢に絡みつき、身動きが取れない。

何かがひゅーんと飛んできて、アマリリスの側に突き立った。

アフロジオンたちも同じように、襲撃者の投げつけた網に絡め取られていた。

彼らのもがく物音に混じって、いくつもの小さな足がにじり寄る気配がする。



その時アマリリスは、側に突き立っていた銛が引き抜かれるのを聞いた。

重い身体を支える脚が、足元の砂利を踏みしめる気配があって、飛んできた時とは明らかに違う、重い気迫と共にそれは投げ返され、何かを打ち砕いた手応えがあった。


続いてアマリリスの体は、絡まった網ごと抱え上げられ、空中でくるっと回転させられると、いとも簡単に拘束から離れ、四肢がすとんと地面に着いた。


襲撃者が群れていると思われる方向で、甲高い声で叫び合っているのが聞こえる。

アマリリスを救ってくれた”それ” は、同じようにしてサンスポットを救出しながら――空中でもがく声がした――両腕をぶんと振り回した。

襲撃者が投げつけた銛がはたき落とされ、あるいはへし折られる。

”それ”は、オシヨロフのオオカミ達を抱え込むように庇いながら、地響きがするような獣の咆哮をあげた。


息をするのも苦しかった白濁した空気に裂け目が出来て、新鮮な空気が流れ込んできたように感じた。


どしんどしんと足音を響かせながら、”それ”が前進をはじめた。

前方に立ちはだかるものを、叩き潰すとともに弾きとばし、速度をあげて走り出す。

アマリリスは足音を頼りに、必死にその後を追った。


やがてその足音が薄れ、聞こえなくなった頃、ようやく視覚が、少し遅れて嗅覚が復活した。

襲撃者の包囲から逃れ、オシヨロフの群のうちアマリリスを含めて6頭がそこにいた。

アマロックの姿だけがなかった。

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