第337話 隻眼のフクロウの眼

日没から長いこと残っていた薄明かりも完全に消え、真夜中の時間がやってきた。


空の半ばを覆う雲は、きめの粗い羅紗のようで、背後にある光体を完全には隠しきれずにいる。

やがてその縁からまばゆい輝点がのぞき、程なくして完全に覆いを取り去った紡錘型の月が現れた。


青黒く照らされたフェルトの雲や、周囲の星座とも相まって、それは遠い天体と言うより、夜空に聳え地上を見下ろす巨大な獣か夜禽の隻眼だった。



冷たい夜風が裸の胸に触れ、アマリリスは肩に掛けたオオカミの毛皮を掻き寄せた。

穏やかな晩ではあるが、大気は氷のように冷たい。

さっさとオオカミの姿に戻ればよいようなものだが、もうしばらく人間の目でこの光景を見ていたくて、震える息をこらえていた。


天空の獣を背に地上を見渡せば、青い闇の中で、真夏だというのに白々と雪を戴いた山々の峰や、峰を渡る雲が白く浮き上がり、

反対に、その間に広がる麓の低地は、深い海のような暗がりに沈んでいる。

足元の地面、冬期の酷寒や風衝に砕かれた砂礫のうえには、アマリリス自身の影がやけにくっきりと映し出されていた。


同じ異界の一部ながら、幻力の森の夜ともちがう静謐な世界。

あちらが獣や魔族がうごめき、迷い込んだ人を惑わす妖しの空間だとしたら、

ここはそういう獣や魔族も眠りについてしまった夜の国で、人間もずっとここにいたら、いつの間にかこの青い闇に溶けていってしまいそうだ。



しかしそう感じられるのは、人間の姿でいる間のこと。

オオカミの知覚を通して見るトワトワト脊梁山脈高地は、確かに低地よりはずっとかすかではあるものの、

ガンコウランのマットの下でハタネズミがハイマツの実を運び、それを狙ったオコジョが砂礫の間を走る。

ヤナギの枝ではヒタキが羽を休めている。


気流は時折、ずっと遠くのことを伝えてくる。

麓から山肌を登ってきた風によれば、正面の盆地はスゲの草地やコケモモの藪が広がり、

オシヨロフから追ってきたのとは別の、アカシカの群れが入り込んでいるのが確認できる。


小さな川が流れており、一部は湿原になっている。

どこかに地下熱水の湧出口があって川の水に混ざっているようだ。


こんな場所でも、ただじっとしているだけでこれだけのことが分かる。

オオカミの身体でいる限りこの世界で、何の気配も感じられないということはあり得ないかものしれない。

特に、数日前のあの出来事以来、大気そのものが緊張に満ち、ざわついているようで、

こっちまで落ち着かなかった。

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