第336話 民族の命運
生まれたばかりの民族が災厄に見舞われ、その発祥を他民族から記憶されることもなく滅び去るということは、全く珍しいことではない。
民族の数え方にもよるが、そうやって消えていった民族のほうが、一時でも繁栄を成し得た民族より遥かに多いだろう。
そしてトヌペカの群族が絶滅の危機に瀕するのも、これが初めてではないし、過去にあったのも一度や二度ではない。
それでも災厄は災厄だ。
何度経験しようが、その苦悩や不安が和らぐということはない。
幾度となく聞かされたその言葉の意味を、トヌペカは噛みしめていた。
一族の家は、要害の切り立った崖の上部、周囲から窪みになったテラスのような場所に作られていた。
当然、ユキヒツジの姿でしか行きつくことも、出ることもできない。
周囲の岩壁に支柱を立ててかろうじて立っている、それでも頻繁に傾いたり屋根が飛んだりするその家は、
人類が最初に発明した家屋と比べても、おそらくさして進歩のないものだったに違いない。
四方の壁は、ハンノキの枝を骨組みにスゲやカヤツリグサの束をくくりつけただけの草囲いで、屋根も同じような作りだった。
中には、かまどというか、地面を石で囲んだ、火を扱うための場所があり、
座るために、アザラシの毛皮を敷いた場所がある。
あとは僅かながらの様々な物品、煮炊きする道具と、食料や衣類、父祖の時代に遠い南の国との交易で得た武器、といったものが、床に置かれたり、梁に掛けられたりしてあって、それらが群族の財産の全部だ。
中は狭いので、一度にせいぜい6,7人しか入れない。
なにしろ草の壁なので、すきま風というより、壁そのものが風雪を通してくる。
その割には煮炊きの煙がこもって息苦しい。
雨漏りがひどく、まとまった雨が降ると床が水浸しになる。
それでも彼らにとっては、かけがえのない安住の我が家だったのだ。
何しろ以前は、まだ変身ができない乳児をかかえた女は、真冬でも、ハイマツの茂みに風雪よけの毛皮を被せただけの隠れ家で過ごさなければならず、
魔族の危険がある場所では、火を使うことすらできなかったのだから。
その思い入れ深い家も、噴火後しばらくして降りはじめ、加速度的に勢いを増していった火山灰の重みによって、
大人たちが中にある家財を運び出すか出さないかのうちに、屋根が落ち、バラバラに倒壊してしまった。
更に、避難を開始して早々に悲劇は起きた。
家の中にあった資材を振り分け荷物に包み、皆が背に負って(当然、ユキヒツジの姿で荷物を自分の背に載せることはできないので、人の姿の者が手助けすることになる)絶壁をそろそろと降りていたときだった。
不意に、何かがつかえたような声がして、群族一番の長老でもある薬師の御婆が、
火山灰の煙を巻き上げながらずり落ち、そのまま何度か途中の崖にバウンドしながら、遥か下の地面に落下していった。
崖に積もった火山灰に足を取られたか、周囲の忠告をいれず、重い薬壺の土器をいくつも一人で背負っていたせいか、
それでも、天険を住処とするユキヒツジには通常考えにくい事故だった。
皆が地上に辿りついた時、薬師の御婆は、まだかろうじて息があった。
だから人間に戻れば、(以降、ユキヒツジの身体は失うことになるものの)生き延びることも可能だったはずだが、
すでに意識を失っていたのか、或いは今わの際に思うところがあったのか、群族の薬師はユキヒツジの姿のまま息を引き取った。
同時に、残された者たちは、自分たちの重要な資産を失った。
御婆が背負っていた薬、薬草のたぐいは回収することが出来たが、液体の変身膏薬は、粉々になった壺の破片とともに、火山灰の上に飛び散っていた。
御婆はよく、薬効に対する皆の無知を嘆き、未熟な者が貴重な原料に触れることを嫌って、誰にもその製法や扱い方を知らせなかった。
結果的に、群族最後の薬師は、父祖から継承した技術を重要に見ながら、
次代の子女からそれを永久に消し去るという皮肉をもたらした。
だがその顛末にもはや彼女は関わりがない。
変身膏薬を失ったことは残されたものたちの問題であり、
ユキヒツジへの変身を存立基盤とするこの民族の命運が絶たれたことを意味していた。
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