第330話 オオカミの心#1
ワタリへの同行を可能にする、物理的な手段とは別に、
オオカミの身体に、アマリリスが密かに抱いていた期待があった。
つまり、オオカミになれば彼らの、ひいてはアマロックの心が理解できるかもしれないということだが、
結果はYESだったともNOだったとも言え、アマリリスの期待の主旨からいえば、やはりNOだった。
言うならば、オオカミたちの意図は分かるようになった。
人間で言えば言葉、いや、むしろサインのようなものだ。
人間でも、ウィンクする、肩をすくめる、そういった仕草とその時の状況から相手の言わんとすることがわかる、つまり意思疎通ができるように、
オオカミの耳や尾の動き、唸る、囁く、そして匂い、そういった符号が、人間には不可能な鋭敏な感覚を通じて、多彩で複雑な情報を伝え合う。
それは人間が交わす言葉に劣らないどころか、むしろ遥かに高度な意思疎通の方法だった。
だがそこで伝えられるものは、あくまで『意図』であり、あるいは(あえて人間の会話と共通の属性を探すならば)感情の動きであり、
そこに彼らの心は含まれていなかった。
これは実際、微妙な境界の区別で、アマリリスがその欠落の感覚をはっきりと意識に捉えるには、それなりの時間がかかった。
<群の全員でシカを追っている局面で>
『追い詰めろ、この先は淵だ、滝が流れ込み狭隘な谷だ
囲め サンスポットとベガとデネブは両側から先回りしろ アマリリスは下がれ、
逃げ道を作るな 接近しすぎるな』
※無論オオカミが名前で呼び合うわけではなく、アマリリスの後付けである。
なお、オオカミでいる時は、例のそっくりな三兄弟の区別がつくことに気づいた。
<空腹のとき、シカの足跡を見つけて>
『肉だ! 足が生えて動き回る肉だ
追うぞ そして食うぞ
メス・オス・メス・メス・子ども・その他
(オオカミは数を数えるのは苦手なようだ。)
狙うのはこのメスだ』
<ヒグマに遭遇して>
『向かってくるぞ! 散れ!
近くに昨日倒した獲物があるが こいつは気づいていない
追われた奴はまっすぐ走れ
追わせて遠ざけろ』
人間の言葉で言い表せる範囲では、だいたいこんな内容がやり取りされている。
そこには明らかな思考の働きがあり、荒削りながら感情の発露がある。
では、思考の機能はイコール心か。
感情を見せれば心があるといえるのか。
以前のアマリリスにそう尋ねたら、(考えるというよりその問い自体に困惑して)しばらく逡巡し、きっと幾らかの苛立ちも込めて、YESと答えただろう。
そんなアマリリスらしくない問答が浮かんでくるのは、それは違うと直感していたからに他ならない。
人間同士なら、例えばファーベルの叱責に怯えるアマリリスは、何も彼女の言葉や声そのものに恐怖しているわけではない。
出会ってからこれまでのファーベルとの関係があり、アマリリスが知るファーベルの人柄があり、
ファーベルが怒りアマリリスが叱られるだけのことをやらかしている自覚があっての上での怯えであり、
そういう背景なしに誰かが怒鳴っているのを聞いたところで、どこかで鳴ってる雷ぐらいにしか感じないだろう。
そしてそれは、つきあいの時間や関わりの深さとも直接の関係はない。
アマリリスはファーベルを知っている、ファーベルの心に触れていると感じる。
だからファーベルが怒る時、その心の激震を感じて、文字どおりこちらの心も震え上がるのだ。
また、ヘリアンサスがアマリリスを小馬鹿にして何か言ってくることに対して苛立つとき
(惰眠で肥えたムダ巨乳だの、無断外泊でアウトドア専門のビッチだの、よく考えたら結構ヒドイこと言う)
言われた言葉そのものに苛立つ訳ではない。
まして傷つきはしない。
言われたことにアマリリスが苛立って、何か言い返してくることを期待してワクワクしている、ヘリアンサスのワクワクの心に苛立つのだ。
結局ヘリアンサスの思惑通り苛立ってやり返し、ヘリアンサスは歯茎まで剥いて高笑いする。
バカバカしいから無視するのが一番なのだが、たいていの場合、アマリリスはこの弟の相手をせずにはいられないのだ。
アマリリスが傷つくのは、ヘリアンサスの心が思いも寄らない離反を示す時、ファーベルと二人の寝室からアマリリスを締め出そうとする時、とか。
不理解や沈黙を通じてすら、人間同士なら心の手ざわりが伝わる。
けれどオオカミ達からは、どんな形であれ、彼らの心の声がまるで聞こえてこないのだ。
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