第323話 人間とオオカミの繋がり

オオカミの身体を手に入れてまず、アマリリスに即物的ながら大きな感動をもたらしたのは、その毛皮の暖かさだった。


寒さに苛まれることは、孤独や敗北と同じように人の心を惨めにする。

それがないだけで、トワトワトの地がもたらす苦悩の半分は免除されると言っても過言ではない。


人間はもともと、赤道に近い熱帯に起源をもつ生物だという。

その後数万年の無理を重ねて世界中どんな土地でも生きて行けるすべを獲得してきたが、

そしてアマリリス個人もこの一年で大分耐性をつけたとはいえ、温暖なウィスタリア育ちの身に、やはりトワトワトの気候は過酷だった。


盛夏であっても、気温は体温の半分にも届かない日が多く、頻繁に発生する霧や風が、わずかに蓄えた熱まで奪おうとする。

はたから見れば、自ら好んで幻力マーヤーの森を徘徊しているかのようなアマリリスも、

山から吹き降ろす風に晒される尾根や、容赦なく水しぶきをはね上げる沢に出くわすと、思わず自らの不遇を嘆き、

暖かな臨海実験所にいて、こんな思いをせずに済むヘリアンサスやファーベルを恨めしく思った。


けれどそんなのは、オオカミになってしまえば無縁の話。

どれだけびゅうびゅう北風が吹こうが、夏の風など所詮はそよ風。

むしろ涼しくて気持ちいい。

冷たい雨も、川の水すら恐るには足らない。

何しろ水に浸かっても、実はオオカミの体は濡れないのだ。


毛皮の外側、長く硬い毛は濡れると房になって内部への水の侵入を食い止める。

さらに、内側の密生した柔毛の層が空気を蓄え、ちょうど乾いた絨毯の上を水滴が転がるように、水を寄せつけないのだ。

だから川に飛び込んでどっぷり濡れても、地肌は暖かく乾いており、

水から上がって身震いをひとつすれば、毛皮の表面に絡みついた水もあらかた吹き飛ばされてしまう。


道理で氷雨を浴びた上に北風に吹かれようが、凍った川に落ちようが平気なわけだ。

オオカミは、彼らの肉体や精神になにか特別な強靭さがあって寒さの苦痛に耐えられるんじゃない。

そもそも苦痛を感じてなかったんだから。


でも、寒さが苦痛だというその一点では(だからこそこんなすごい毛皮を発達させてきたのだろうし)あたしとオオカミたちは繋がってたんだわ。

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