第321話 最後の躊躇
有と無の狭間から産みおとされるようにして、馴染み深い身体がアマリリスに戻ってきた。
そのままずぶずぶと地中に沈んでゆきそうな感覚に、手足を踏ん張って体を支えた。
手足や脇腹に触れるハイマツの根や枝の感触が、オオカミの毛皮の内側で、衣服を何も身につけていないことを思い出させた。
“・・・ま、いっか。”
アマリリスはオオカミの毛皮の下からもぞもぞと這い出してきて、魔族の前でゆっくりと、身を起こした。
後に思い返して明確にわかったことだが、
この時アマリリスを躊躇させていたのは、アマロックに対して裸身を晒すことではなかった。
何しろ一度見られてるわけだし。
そもそも魔族であるアマロックに見られて恥ずかしいという感覚そのものがナンセンスとも言える。
アマリリスの脳裏にあったのは、これによって自分は再び、取り返しのつかない道へ踏み出そうとしているのだ、という、恐ろしい確信だった。
その警鐘の響きをアマリリスは確かに聞いていた。
聞いていながらそれを踏み越え、人間に戻った姿でアマロックの前に立ったのだ。
いっぽう、アマリリスの心は今や幸福で一杯だった。
北国の冷たい大気が肌を撫でる頼りない恥ずかしさも含めて、今この時この世界には何の憂いも煩いも存在しなかった。
いつものように、魔族の金色の目で、アマロックはアマリリスをしげしげと眺め、彼女を優しく引き寄せてキスをした。
やがてその唇が離れ、身を翻しざまオオカミの姿となって駆け出したアマロックを、アマリリスも追った。
当然、そしてもはや戸惑うこともなく、獣の身体を得て。
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