第311話 天空からの視界
「・・・結局さ、」
難しい話はふわっと聞き流すのがアマリリスの常だったが、この時は違った。
「だからやめとけ、って言いたいの?
それとも、そんなことはくだらないから戦え、って言ってるの?」
クリプトメリアは少し紅潮し、懸命に何か言葉を継ぎたそうとして、断念した。
「・・・ごめんなさい。
すごく失礼なこと言ったわ。」
クリプトメリアはやはり困ったような笑顔で、黙って首を振った。
沈黙が下りた実験棟の中、アマリリスの視線はまとまらない思考を補ってくれる材料を求めて漂っていた。
その視界のほぼ全体は、巨大なガラス玉オルガンの機械によって占められていた。
白黒のパターンが幾層にも重なった鍵盤、夥しい数の音栓、バラバラの目盛りを示す計器、
パイプ、フレーム、ハッチ、コック、、
当然だが、そういったものを眺めて何か示唆が得られる訳ではなかった。
変身の手段を得たら倫理的に人間なのか魔族なのか曖昧に、という話は、
クリプトメリアも予想したことではあったが、これっぽっちもアマリリスの興味を動かさなかった。
倫理などいかにあてにならないものか、魔族どころか同じ人間に対して、人間がどれだけ残虐になれるか、彼女が知っていることは別にしても。
とはいえ客観的に見れば、聞いたこともない怪しげな薬を使って、自分の身体を動物に作り替えようなど、荒唐無稽な、正気とも思えない考えかも知れない。
だが、非常に強い願望というのは、たいていその内に幾ばくかの狂気をはらんでいる。
異種族の男への愛ゆえに人間の脚を得たいと願った人魚の姫のように、アマリリスは自分の願いと引き替えになら、
もともとあまり気に入っていなかった自分の声など、考えもなく差し出していたに違いない。
アマリリスが戸惑ったとすれば、オオカミになった自分というものに全く想像が及ばないことだった。
それも当然のことで、現にアマリリスはオオカミに変身した体験がないのだ。
平地にしか暮らしたことのない人間には、天空から大地を見下ろす鳥の視界を想像することはできない。
それと同じことだった。
それでも人は高い山に登って鳥の視界を疑似体験しようとするし、それに飽き足らず、自由に空を舞う翼を得て、さらなる高みに至ることを渇望する。
それが叶うとなったら、地上を振り返っていくらか躊躇したとしても、断念する者はほとんどいないのではないだろうか。
「“賛成できない”」
アマリリスは噛みしめるように、クリプトメリアの言葉を繰り返した。
同時に、空中をさまよっていた彼女の視線が、クリプトメリアにまっすぐ戻ってきた。
「でも止めはしない、ってことですよね?」
はっきりと結論を出したアマリリスの目の輝きに対し、クリプトメリアの理屈は力無く、説得の形すらなしていなかった。
そもそも人の明確な意志に対抗しうる意見など存在しないのだ。
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