第306話 コルジセファルス感染症

それは錯覚でも何でもなく、彼女の目に見えたほぼその通りのものだった。


「これが、人狼ヴルダラクならぬ狼男ルゥ・ガルだよ、バーリシュナ。

もっとも、正確には狼男ルゥ・ガルとは疾患の呼称であって、その病原体がこいつ、

コルジセファルスという蔓脚類の寄生生物だ。」


”疾患”


脳裡に閃くある考えがあった。


「ということ、は、、、」


怪物のおぞましく無惨な死骸を凝視し、うめくように言った。


「これって、、人間なの?」


ラフレシア語の”疾患”という語は、特に人間に限定して用いられる訳ではない。

にもかかわらずそう思い到ったのは、頭のどこかでは気づいていたからなのだろう。


「そうだ。

著しい病変を起こしているものの、もとは魔族ではない、普通の人間だったはずだ。

そしてコルジセファルス自体も、魔族ではない。


主に人間、まれに一部の類人猿にも感染例のある寄生生物でね。

卵の状態で感染し、体内で孵化後に脳に寄生して、初期には宿主に断続的な精神異常を引き起こす。


やがて病状が進み、見ての通りの極端な外見上の変異を生じる頃には、人格も完全に破壊され、

次の宿主、つまり別の人間に感染するべく、見境なく人を襲うようになる。


これらの爪や牙に見えるのは、すべてコルジセファルスの卵鞘だ。

襲われた人間が引っ掻かれ・噛みつかれれば体内に卵が入り、かつ感染源の狼男ルゥ・ガルに殺されずに逃げ延びれば、

――見ての通り、確殺の兇器とは言い難い得物だ、餌食を取り逃がすこともままあろう。

被害者の体内でやがて出芽するコルジセファルスが、次の狼男ルゥ・ガルを生み出すというわけだ。


コルジセファルスと、それが引き起こす狼男ルゥ・ガル症は、もともとはトワトワトにはない、大陸本土内陸部の風土病なのだがね、近年罹患域を拡大する傾向にあるらしい。


山の民の間にも発症者が出たらしいと聞いたが、こいつは体格からして、ラフレシア人だろうな。

オロクシュマあたりから、発症後に錯乱してさ迷ってきたか、あるいは流れ者の猟師か。

いずれにしても、人間に限った病なわけで、異界には稀な珍種だよ。」


クリプトメリアはそれこそ、珍しい植物の説明でもするように喋りながら、背嚢から金属のボトルを取り出し、その中身の液体をかつて人間の一部だったものの上に振りまいた。

鼻をつく刺激臭が立ちこめ、コルジセファルスが触脚を一斉に動かしてもがいた。


クリプトメリアはアマリリスに離れるよう身振りで促してから、マッチを擦り、黒々と濡れたコルジセファルスの上に落とした。

ボウッという音を立て、アマリリスの身長に達する火柱が上がった。

激しい燃焼熱を発しながら、狼男ルゥ・ガルの本体は見る見る黒こげの煤に変わっていった。


こうして、アマリリスが異界で出会った、空前絶後の醜悪で凶暴な化け物は排除された。

少なくとも、物理的には。



ファーベルを抱いたまま、アマロックはアマリリスとヘリアンサスに近づいてきて、

ファーベルの肩に手をかけ、そっと彼女を引き離した。

ファーベルは一瞬抵抗するような素振りを見せたものの、すぐにおとなしく従った。


「またな、バーリシュナお姫さま


それだけ言って魔族は森の奥へ消えていった。


アマリリスは気づかなかったことだが、ファーベルはこの日以後、トワトワトを去る最後の日まで、二度と幻力マーヤーの森に入ることはなかった。

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