第292話 小鳥たちの沈黙

オロクシュマに出掛けた数日後。

アマリリスはいつも通り、一人で幻力マーヤーの森を歩いていた。


爽やかな朝だと思った。

森はしんと静かで、昨夜の雨の名残か、ごくうっすらと靄がかかっている。

それが樹々の陰影を引き立て、梢から射し込む朝日が、木立のなかに柔らかな光の帯を描いていた。


『梢のマネシツグミが愉快に歌っていた昔、

モクレンは雪の白さで咲いていた


過ぎし日々、去りし人々を追憶の中に訪ねれば

輝く陽は今も照らす、私の家があった場所を・・・』



ふと、静謐せいひつな森に漂う自分の歌声が気になって、立ち止まってあたりを見回したアマリリスだったが、特に注意を引くものもなく、ふたたび歩きはじめた。


『沼の蛙が夜闇に鳴き交わしていた昔、

春の丘はツキミソウの黄に霞んでいた


帰らぬ友を求めて、遠き夢路をたどれば

優しい月は今も照らす、私の家があった場所を・・・』


苔むした倒木を踏み越えると、鮮やかな緑の苔からじわりと水が染み出してきて、アマリリスの足跡の形に小さな水たまりができた。

大木の根元に積もった細かな小枝の上を歩くと、枝がポキポキ折れる音がした。

涸れ沢に沿って斜面を下っていくと、踏み落とした小石が、からんからんと音を立てて谷へ落ちていった。


平地に出た。

密生するヤナギの林を縫って進むと、広々とした河原が現れた。

豊かな水は穏やかに澄んで、砂利の川床や深い淵の暗がりの上をとうとうと流れていた。

そろそろ遡上の季節を迎えるマスも、この川にはまだ入ってきていないようで、水の中に魚の影は見当たらなかった。


腰をおろしたいと思ったが、地面はどこも湿っていそうで、アマリリスは突っ立ったまま、流水の単調な音に耳を傾けていた。


大きく伸びをしようとして、肩まで上げた両腕を途中で止め、ゆっくりと下ろした。

来た方を振り返る。

やはり不審なことは何もない。

森はあくまで静かで、小鳥の声ひとつ聞こえなかった。



「。。。あれ?」

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