第290話 オロクシュマ聖贖罪教会#1

アマリリスがアマロックと岩の上から街を見下ろしていた頃、

ヘリアンサスとファーベルはちょうどその建物の前にいた。


”オロクシュマ聖贖罪しょくざい教会”


それは周囲に建つ民家と同様、トワトワトの風雪に痛めつけられくすんだ、みすぼらしい建物だったが、

小さいながら鐘楼を備え、入り口の上に広く張り出した破風を持つ、ラフレシア正教の典型的な様式の教会だった。


神に忘れられた土地と呼ばれるトワトワトで、ここを訪れて熱心に何かを祈るような住人はほとんどいない。

それでもこの建物が教会であることは、誰が見ても一目でそれと分かったし、ふだんの生活でその存在を一度も気にかけたことのない者でも、

前を通りかかったところをつかまえて尋ねれば、ここに教会があることはもちろん知っていたと答えたに違いない。


ヘリアンサスとファーベルも、それぞれ出自は違うが、共に信仰とは殊に結びつきのない環境で育ってきた。

アマロックとはぐれて二人で街をぶらつき、ここを通りかかったのも偶然にすぎない。

それでも、この時教会を包んでいた異様な雰囲気には、足を止めずにはいられなかった。


”何だろね?お祭り?”


”うーん、でも何か変じゃない?”


ひそひそ声の会話もためらわれるほど、あたりはしんと静まりかえっていた。


紫の燕尾服に白いシルクハット、そして顔を隠す無機質な仮面という、奇妙な、およそトワトワトには場違いな風体の男。

それが幾人も、全員が寸分違わず同じ姿をして、霧の中から次々と現れては教会の中に入っていった。


何かの宗教行事に見えなくもないが、こんな形式のものは二人とも見たことがなかったし、

それならそれで街の人が集まってきそうなものだ。

ところが相変わらず周囲には人っ子ひとりいない。

異様な静けさの中を、仮面の人々は一言も話さず、周囲にもお互いにも一切の関心を見せることなく、吸い込まれるように教会の入り口をくぐって消えていった。


やがて、二人一組になった仮面の男が、箱のようなものを運んできた。

それは黒ずんだ鋼色の四角いひつで、そうしようと思えば一人が手に抱えて運ぶことも出来そうな大きさだったが、

見かけよりよほど重いのか、あるいは貴重な物を収めているのか、櫃の四隅に着いた金属の輪に二本の棒を通し、輿みこしを担ぐ要領で前後二人が支えて運んでゆくのだった。


教会の入り口の前まで来ると運び手は足を止めて支え棒を下ろし、櫃はしばらく土の上にとどまっていた。

ヘリアンサスとファーベルはしげしげとその櫃を見つめた。

櫃の表面には幾本も、まだらの黒いリボンのようなものが巻きついており、それが櫃の周囲をめぐるように、ゆっくりと動いていた。


やがて教会の奥から、仮面の男たちとも違う身なりの男が出てきた。

黒い詰襟の上衣に長い灰色の髭からは、この教会に関係する司祭か牧師とも見受けられたが、

肩に羽織った長い灰色のマント、そして目深にかぶった鍔の広い帽子という装いは、神に仕える職業には不似合いにも思えた。


男の顔は、帽子の陰になっていて二人からはよく見えなかった。

ただ、豊かなほおひげの中で柔らかく引き結ばれた口元は、初めて接する者にも安心感を与えた。


男は櫃の前に立ち、何事かつぶやきながら、櫃の上に左手をかざした。

それに呼応するように、櫃に巻きついていた黒いリボンが波打ち、櫃の表面から浮かび上がった。

そして櫃を中心にしたリングとなって空中を回りはじめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る