第289話 ある一点、って

オオカミの毛皮は、縦にしたり横にした末、アマリリスにおぶさる格好で頭を左肩に出し、

後肢や尻尾は右側に回し、古代人のトーガのように右腕に垂らした。


二人は人間の恋人同士のように腕を組んで、しばらく街をぶらついた。

北国とは言え季節は初夏、分厚い毛皮を着ていると汗ばむような陽気だった。

地上には霧が漂っていても上空の雲は晴れ、オロクシュマの巨岩は日差しを浴びて鮮やかに輝いていた。


「登ってみる?」


「は?

・・・あの岩に?

登れるの?」


「階段があってね。」


「そうなんだ。

よく知ってるね、前にも来たことあるの?」


「いいや、君と来るのが初めてだよ、バーリシュナお姫さま


アマリリスはくすっと笑って、毛皮の下に隠れた腕で、しかしはっきりとアマロックの腕を抱き寄せた。



巨岩の横腹にへばりついた木の階段は、階段というより梯子に近いもので、

ギシギシたわむし、人をおどかすように岩影から鳥が飛びだしてきたりするし、

アマロックが手を引いてくれなかったらとても登りきれなかっただろう。


巨岩の上の展望台からは、トワトワトの広大な世界が見渡せた。

船影ひとつない平坦な海、南北に延々と続く海岸線、そして見渡す限りの原始林の山々。

その片隅にひらけたオロクシュマの街は、こうして眺めていてもあまりにちっぽけで頼りなく、

今もうっすらと街の上にかかる靄の中に、幻となって消えていってしまいそうだった。


「ねぇ、アマロック」


「うん。」


「前にさ、異界の生き物は同じ強さの幻力マーヤーを持ってる、って言ったでしょ。

どんな生き物も、動物も、植物も、みんな。

人間は?」


「人間にも、幻力マーヤーはある。

あるんだけど、内向きの、ちょっと特殊な力だ。


人間の幻力マーヤーは、人間に対してだけ作用するもので、人間同士でお互いに作用し合っている。

人間以外に働きかけることがないから、人間は異界に入ると、幻力マーヤーの点では無力だ。


一方でこういう場所だと、人間同士でお互いに作用し合う幻力マーヤーが、霧のように街全体を覆っている。

誰が誰に作用しているとか、どこからどこまでが誰の幻力マーヤーという区別がなくて、全体として同じ方向を向いているんだ。

衝突して打ち消し合ったりねじ曲がったりせずにある一点に集中するから、人間の幻力マーヤーは、集団全体としてとても強い。

だから人間はこれだけ繁栄したんだと思うよ。


異界では、裏をかいて自分だけもっと得をしようとする奴が必ず出てくる。

だから全体としての効率は高くても、こういう状態は成立しない。」


「ふぅーん。。。


・・・ある一点、ってどこ?」


「例えば、あれかな。」


アマロックは左手を上げ、眼下の街を指差した。


その先には、かげろうのようになって薄れつつある霧の中、

教示の規定する信仰のシンボルが、寺院の屋根に光っていた。

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