確かに、神という虚構を創り出すことで人心を掌握しようとしたものが宗教であり、良くも悪くもそれがあることで同じ方向を見ることに役立っていますものね。
私には神の存在は分かりませんが、それを否定しきれないのは、奇跡や運命や不思議な出来事など、人智を越えた何かがあるように感じるからで、それもまた人間の幻力(マーヤー)のひとつなんだろうな…と思ったりします。
作者からの返信
コメントをありがとうございます!
神、どこか高い視点からこの世界を見守って裁定をくだしているような神様は存在しないと思いますが、
神を信じている人の信仰や、信じていない人でも参加する宗教行事(初詣でとか)の形での神は、日本国憲法が存在する、というのと同じような意味合いでは明らかに存在しているとも思います。
そして多かれ少なかれ人間の行動を支配しているのも事実ですね。
人間の幻力は信仰によってモラルを得て、一定方向に流れている、或いはモラルという相互監視状態にあるから人間同士に影響し合う、という感じなのかなあと。思えば野生動物は基本的にルール無用なわけで、絶えず周囲を警戒し続ける必要もあるし、自分の事で悩むよりも、周囲に気を配って生きる事に全力である事が普通だから、幻力も外向きなのかもと思う次第。
作者からの返信
コメントをありがとうございます!
野生生物は自分の利益のために他者に働きかける、けれど人間は違うというか、それだけじゃないのが明らかですね。
この違い、人間の社会性はどこから来るのかといったら、ひとつには言語を使うこと、そして他者の気持ちを察したり考えを理解する共感の能力ではないかと思っています。
人間を束ねて同じ方向を向かせる力、その象徴のひとつが信仰ということでしょうか。