第279話 獣の血脈#2
薄暮の時間が近づき、遠い山並みにかかる太陽は、地上を照らす光を次々と消し去りつつあった。
砂浜に茂るハマナスの葉にはまだうっすらと金色の光が注いでいたが、青葉の茂る木立に一歩踏み入れると、静かな湖水の底のような暗がりの中にあった。
暗がりの中に、人間であれば見過ごしてしまいそうな佇まいで黒オオカミが座っていた。
アマロックが近づくと、オオカミには、そして彼にはなおさら珍しいことだが、サンスポットは低い微かな唸りを漏らした。
不快や嫌悪を示す声だった。
唸り声は次第に強まり、もはや明確に険しい警告の意図をあらわしていた。
その一方で同時にそれは、隠しようもない怖れの色を含んでいた。
凶暴なオオカミの群に、力によって君臨する首領に対する恐怖かといえば、そうではなかった。
サンスポットは目の前の魔族に、彼の首領以外のものを嗅ぎ取っていたのである。
藍色の陰の中、金色の瞳の魔族と、漆黒の闇の獣は一定の間をおいてしばし睨み合った。
やがて、人間には感知できないやりとりの末に、不意にサンスポットの唸り声から警告も恐怖も消え失せ、喉を鳴らす穏やかな溜め息のようになって終わった。
まるで大気からも緊張が解けたようだった。
それを待っていたように、もう一頭のオオカミはトネリコの幹の陰から出てきた。
東トワトワト産のオオカミにはありふれた、暗い砂色の毛並み。
したがってアフロジオンではなく、かといって三兄弟のいずれかでもなかった。
どことなく華奢な鼻面や肩のあたりの骨格、それでいて揺るぎない自信に満ちた足運びは、彼女が自分の属する群において高位の雌オオカミであることを示していた。
アマロックはさらに、彼女が普通は雄が務める群全体の首領の地位にあることを知っていた。
アマロックに近づきながら、雌オオカミの前脚が地面を離れた。
暗い毛並みが霞のように消え失せ、暗がりでいっそう目を引く、雪のように白い手足が現れる。
紫紺色の長い髪を一振りして顔を上げると、金色の瞳がアマロックを見つめた。
アマロックと比べると睫毛がやけに長く濃いのが印象的だが、そして女性であることを差し置いても、同じ人狼同士、両者の容貌はよく似ていた。
見つめ合ったまま、やがてアマロックが先に口を開いた。
魔族語、というよりも彼の言語で話しかけ・・・しかし女首領はそれを無視するようにつかつかとアマロックに歩み寄り、彼の襟首を掴んでぐいと引き寄せた。
じっとりと吸いつく唇に塞がれて、アマロックの言葉が途絶えた。
暫くして女はアマロックを離し、小馬鹿にしたような眼差しで彼を見上げた。
アマリリスになじられる時と同様に、アマロックは平然とそれを受け流しながら、それ以上何も言わなかった。
女はふたたび、一層の貪欲さでアマロックの唇を求め、続いてぬらぬらする舌が彼の口に滑り込んできた。
アマロックは女の背から腰にかけて指をはわせ、細くしなやかな、しかしその内には外見からは信じられないほどの膂力を秘めた肢体の感触を楽しんでいるかのようだった。
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