第274話 星にかける願い#1

ファーベルは何も言わなかった。


いつだってほがらかで、柔和にゅうわあいくるしく、だからアマリリスが気づくはずもなかったのだが、

今やアマリリスに対するファーベルの想いは、以前のような、心からの親愛の情とは違うものになっていた。


マグノリア大学付属・トワトワト臨海実験所に住み着いている3人の子どもたちの中で――いや、子どもだけでなく、唯一の成人も含めて、

最も精神的に自立し、自らを律することに長けた大人のファーベルは、決して言葉や態度には出さなかったが、アマリリスに対する、既にはっきりとした反感を感じていた。


ひとつには、クリプトメリアが皮相的には正しく、しかし根本的には誤って捉えていたことだが、

アマロックに対してアマリリスが、何の躊躇もなく触れ合おうとする素振りを見せ、しかもそれをヘリアンサスやファーベルに隠そうともしないことがなんとも気に入らない。


アマリリスがアマロックを好きなのだとして、それ自体は別に構わないと思っていた。

世の中には、兄や姉の恋人に嫉妬する妹というのもいるらしいが、ファーベルはそんなことはしない。

人と人の温かな心の繋がりに対して、祝福こそすれ、どうして反対などするものか。


ファーベルがイヤなのは、アマリリスという、精神的にはともかく外形的な存在としては、ファーベルやヘリアンサスと明らかに違うカテゴリーの”女性”が(だっておっぱいも大きいし)、

自分たちの目の前で、そういう人たち特有の芳香を振りまいて男性を蠱惑こわくすることで、

それもファーベルにとって最も身近に親しんでいたアマロックに、というのが何ともみだらで汚らわしく、受け入れがたかった。


アマロック自身は以前と変わらず、ファーベルには優しい。

ファーベルの言うことだけはちゃんと聞いてくれる。

しかしそのアマロックも、アマリリスに対してまんざらでもない様子なのが、ファーベルには意外であり、裏切られた気持ちがした。

そうなると、アマロックは変わらなくても、そしてファーベルも変わっていないのに、二人の間柄は変わってしまい、事実上、アマロックは失われたに等しかった。

それは悲しい喪失だった。

親しく、穏やかに交流していた友達と、ある日突然引き裂かれ、鉄柵の向こうに隔てられてしまったようなものだった。


だがそれはどちらかというと小さなことというか、ファーベルが我慢すればそれで済むことだった。

もうひとつのこと、より受け入れがたいのは、ヘリアンサスに対する、アマリリスのあまりに心なく冷たい仕打ちへの憤慨だった。


姉と弟は、親子と並んで最も強い繋がりの肉親であるわけだから、そのぶん強い絆で結びつき、無条件にお互いをいつくしむものだと思っていた。

最も強い繋がりと同時に唯一の肉親でもあるのだ。

実際ヘリアンサスは、世界中の誰よりも一番、アマリリスを愛しているに違いない。

彼の姉に対する思慕しぼと、いたわりと思いやりは、他人には絶対に立ち入ることの出来ない心の繋がり、そして恋心とさえ映った。

ヘリアンサスは愛するあまり、姉に恋しているのかもしれなかった。


それなのにアマリリスは、ますます森で過ごす時間が多く、臨海実験所にいる時も、その心はアマロックの方を向いている。

誰よりも彼女のことを愛しているヘリアンサスに対して、誰よりも冷淡で無関心で意地悪だ。

それに比べたら夜空の星でさえ、自分を見上げる人間の願いを、少しは気にかけているんじゃないかって思うくらい。


アマリリスがオオカミのように森を放浪している間、ヘリアンサスがどんなに彼女の身を案じ、心を痛めていることか。

戻ってくれば喜び、元気になって、再び森に行かせまいと、無駄な努力をしていることか。

わたしにだって分かるんだもの、本人に、お姉さんであるアマリリスが知らないはずがない。

気づかないはずがない。

それなのに。

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