第251話 春の嵐#2 ヤトロファの轡

敵がなんと非道であることか、翻っていかにラフレシアが正義であるかッ❢

従ってラフレシアの勝利は天に約束された必然、のみならず国際世界からの要請でもありッ❢

事実戦況はラフレシアの側に俄然有利であるのだッ❢❢


とやかましく書き立てる記事の一方、同じ紙面で別の見通しを、ごまかしのきかない形で語るものがあった。


ページをめくると、どや顔フォントとは対照的に、細かな、6と9が上下にずれたような独特の活字で印刷された数字と記号の羅列が現れた。

経済面の、証券市場の動向を示す諸々の指標値である。


クリプトメリアは金融経済に関しては、たまに博打ばくちのつもりで怪しげな新興企業の株を買ってみる程度で、戦争が株や国債の上昇要因となるか下落要因となるのかさえ、皆目分からなかったが、

いずれも企業や国の未来に賭ける博打であるわけだから、もうすぐ戦争が終わりそうだ、あるいは負けそうだ、といった大きな見通しの変化は、何らかの形で影響を及ぼしそうなものだと思う。


だが実際には、一部の軍需産業で散発的な値動きがあるのを別にすれば、株式も債券も、開戦以来長期にわたり低迷を続けたままだった。

大暴落というわけでもなく、ただただ低調、博打で言えば人が集まらず、賭けが成立しない状態だ。

そんな中で唯一好調なのが、金、しかも現物だった。


それは不気味な沈黙だった。

つまりは市場参加者の誰もが、クリプトメリアのような博打うちだけでなく、証券会社や投資銀行などのれっきとした機関投資家も含めて、

未来について見通しを立てられず、売るにも買うにも判断しかねていることを意味していた。

誰も、この戦争がいつどのような形で終わるか、その後世界はどうなるのか、分かっていないのである。



雷が鳴っていた。

山の方を見上げると、町の背後に構える峠には分厚い白い雲がかかり、巨人の腕のようなその一端が、ゆっくりと稜線から下ってくるところだった。

一荒れ来るのか、案外遠雷の音だけで過ぎ去ってしまうのか。


新聞を畳んで灰皿の右に置くと、例のどや顔フォントが上面に出てきた。

クリプトメリアは腕組みをしてそれを睨みつけていた。


実のところ、戦争そのものがどうなろうと、クリプトメリアは大して気にしていなかった。

同じラフレシアでも、クリムゾンや、ボレアシア地域に住んでいるならともかく、ここは極東、地の果てのトワトワトなのだ。

臨海実験所の母体であるマグノリア市にしても、首都からは実に一万キロも離れている。

いくらクソ真面目なリンデンバウム人とはいえ、そんな所まで攻めてきたりはすまい。

しがない大学教授である自分と、その周辺の生活に危害が及ぶことはまずあり得ないだろう。


それは自己中心的な国賊の思考として、その筋からは非難されるかもしれないが、人間とは本来そういうものだ。

己の生活の基盤としてラフレシアがあるのであって、ラフレシアのために己が生きている訳ではない。


そして極論すれば、仮にラフレシアが負け、リンデンバウム連合に占領されたとしても、そんなことはまあ大した問題ではない。


700年の昔、ラフレシアという呼称すらまだ定かでなく、その萌芽となる土豪の国が、ボレアシアの一辺境国だったころ、

ラフレシアは遙か東方の大草原地帯からやってきた騎馬遊牧民族、ヤトロファ人に征服された歴史がある。


以後二世紀に及んだ異民族支配、通称“ヤトロファのくつわ”は、ラフレシア史上の大事件であることは間違いなく、

彼らが及ぼした大小様々な影響の中から、クリムゾンという名の大公たいこう国が生まれ、征服者に対する反逆の中から今日のラフレシア帝国の原型が出来上がってゆくのだが、つまりはそういうことだ。


ヤトロファ人も結局は去っていった。

異民族支配の間もそれ以後も、この国がラフレシア人のものであり、ラフレシア人がこの国の主役であることに変わりはなかった。


全盛期には世界の4分の3を支配したというヤトロファでさえそうなのだ。

たかだかボレアシアで幅を利かせて調子に乗ったニェーメツごときに、この化け物のように巨大な国を征服してどうにかするなど、出来るものではない。

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