第230話 ガレオン船の住人

雪片が絶え間なく舞い落ちては溶け込んでくる海面を見上げていた。


寒い。

冬の川に落ちた時とも違って、骨身に染みる憂鬱な寒さだ。

人魚たちはずっとこんな寒さの中で暮らしているのね。。。

そういえば姿が見えない。はて、どこに行ったんだろう?

アマリリスはやけに細長く引き伸ばされた身体をしならせて回頭しながら、母子の姿を探した。


入り江の海は、岬の崖から見下ろして思っていたよりもずっと深かった。

海中の崖に沿って潜っていくことしばらく、白砂の海底に、黒々とした船が沈んでいるのを見つけた。

大航海時代のガレオン船のような、いくつものほばしらを備えた大型の木造船だ。


今や半ば朽ち、蟹やヒトデ、数々の魚、海の生き物の住みかとなっている水底の船の横腹に空いた穴から中を覗くと、、

いた。

かつての船室であり、寒々とした北洋の底の、居心地のよい穴蔵に彼女たちは収まっていた。


陸に生きる者には人と魚の中間の姿に見せている母子だが、海中ここでは違う、多分彼女たちがいちばん過ごしやすい形態に変化している。

黒い瞳孔が横に切れた大きな瞳、つるりとした頭部、無数の吸盤がついた、何本あるのかわからない脚、ないし触手。

いやこれ、タコじゃん。


でもアマリリスにはこれが人魚の母子だとわかっていた。

ユーモラスとも見える丸い頭部が収縮する力で、目の横に開いた漏斗から水が吹き出し、船室の天井から垂れ下がる、白い房を揺らしていた。

それは、無数の人魚の卵を擁する卵鞘だった。

目を凝らせば、房の一筋一筋、まだ人魚とも、タコともつかない生き物が収まっていて、黒曜石の瞳でこっちを見ている。


遥か頭上、主艢メーン・マストの艢楼とをつなぐ伝声管を、内側から誰かが叩いている。

耳を寄せてみると、耳障りな金属音にぶつ切りにされながら、どうやら人の声で、何かの警告を伝えているようだ。。。。。。。。。。



蒸気ラジエーターがカンカンと、内側から金槌で叩いているような音を立てていた。

ヘンなの、誰もいないのに。

寝返りをうったついでに、アマリリスは額に手を触れてみた。

・・・まだ熱があったとして、それなら手も熱いんだからこんなことしても熱の具合はわからんよね。。



人魚の入り江から戻ると、クリプトメリアとヘリアンサスが仕留めてきたアザラシによって、臨海実験所はちょっとしたお祭さわぎだった。

アマリリスはそれには加わらず、夕食で出されたものもほとんど食べず、早々に寝床に引っ込んだ。


暖かなペチカのベッド、のはずなのだが、どこからともなく体の中に冷気が吹き込んでくるような寒気がする。

体のあちこちが痛い。

そして夜中になって高い熱が出た。


外界との接触が断たれる冬に、健康優良児のアマリリスが風邪とは、珍しいことだった。

翌日、日中は温度が上がるペチカの上に寝せておくわけにもゆかないので、

ファーベルは久々にボイラーに火をいれて、氷点下の世界だった実験所2階を暖め、寝室を用意した。


トワトワトで初めて目覚めた時と同じ、がらんとした古い部屋で一人、アマリリスは心身を苛む熱と苦しい息に耐え、

眠れば自分の体が伸び縮みするような奇怪な夢を見、目覚めているときは、窓の下の軒に成長して行く酷薄な氷柱つららを逆さに眺めていた。


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