第228話 鯨の歌と人間語

秋の終わり、魔族語の話で言い合いになった(というよりは、アマリリスが一方的にまくし立てた)ときに、クリプトメリアは言っていた。


「誤解させたのなら訂正したいが、私は何も、魔族の声が衝動に任せた唸り声に等しいもので、

人間語に比べて下等だとか、内容が貧しく価値がないものだとか、そんなことを言うつもりはないんだ。


魔族ではないが、鯨の歌と言われるものを知っているかね。

ある種の大型鯨類が海中で発する音波は、音量が物凄いだけでなく、非常に複雑で多彩な波形を持ち、それが時に数十分にわたって続く。

彼らはその”歌”を、高音響性の海水層に送り込むことで、理論的にはこの惑星の裏側にいる個体とも交信することが出来る。


きっと彼らには彼らの、人間には想像も及ばない、豊かな交流の世界があるのだろう。

魔族も同じかもしれん。」


そしてこうも言っていた。


「ただ勘違いしてほしくないのは、その交流は彼ら魔族の間でのみ可能であって、人間には理解も参加も不可能なものだと言うことだ。


これは人間が鯨の、あるいは鯨が人間の心を理解出来ないのと同じ、単純な話で、

魔族が借り物の言語基体を操って人間語を話すからといって、彼ら本来の精神の有りようを、人間語に翻訳して見せたことにはならない。


それを示唆する、こんな記録がある。

開拓時代の新大陸で、魔族を教育しようとした宣教師がいた。

人型魔族の幼生を人間の子と同じように育てて、言葉を教えようとしたんだ。


ところがいくら熱心に教えても、一向に言葉を覚えない。

人間が普通に言語を習得する方法では、魔族は人間語を話せるようにならなかったのだ。


結局その魔族が人間語を習得したのは、

大人しく従順に見えていた彼が、ある日前触れもなくその宣教師を殺し、食べてしまった時だったそうだ。」


ことほどさように、魔族とは異質で理解不能な、野生の獣なのだ、と。


アマロックについてはそうかもしれない、というか、彼のためにわざわざ反論して何か言ってやるほどの思い入れもなかった。

けれどこの人魚は違う気がする。


あの限りなく温かな交流が、耳にするものの心を溶かして行くような穏やかな会話が、魔族の間でだけ成り立つもので、

人間は理解することも、そこに入っていくことも出来ないと考えるのは、何だか悲しい。

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