第227話 岩に谺する聲

水面のすぐ下を人魚の影が走る。

きれいに揃えた両脚をわずかにくねらせるだけの動作で、魚そのものの敏捷さで縦横無尽に泳ぎ回っている。


入り江の奥まで迷い込んできた、小舟ほどの大きさの流氷の手前で急に深く潜り、流氷の反対側に現れると、水面高く跳ね上がり、流氷を逆に飛び越して着水して見せた。

飛び出すときも飛び込むときも、わずかな波紋以外、水しぶきも水音もほとんど立たないくらいの滑らかな動作だった。


遊んでいるんだろうか。

母親の方は、背泳ぎで水面に大きく螺旋を描きながら、その様子を眺めている。

やがて子供の人魚が母親のところに戻ってきた。


さっきまでフードの縁の毛を揺らしていた風も、今は止んでいる。

アマリリスはフードを半分脱いで、凍てついた大気の中に潜む物音に耳を澄ませた。



外海の氷が絶えず動いてぶつかり合う、低く押し殺したきしみ、

全天を覆う雪雲から降ってくる、さらに低くかすかな呻き。


やがてそれらにまぎれて、今は聞こえるはずのない、夕波が岩に当たって跳ね返るような音が聞こえてきた。

幾重にも岩壁にこだまし、こんな近くにいても、どこから聞こえてくるのかわかりにくい。


氷のない季節、波音が人の声のように聞こえることがある。

誰もいるはずのない浜辺を歩いていて、急に誰かに呼ばれたような気がしてぎくっとしたりするものだが、これは逆に、波音のように聞こえる人のこえなのだ。

人というか、魔族だが。


ささめき合い、重なりあって干渉する無数のさざ波のような会話に、アマリリスは一心に耳を傾けていた。

あたかも、その会話の中に自分が聞き取れる部分を探して、あるいは聞いているうちに理解できるようになることを期待しているかのように。

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